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妊活におけるプレイヤーは誰なのか?

「この人の遺伝子を残したかった」

子供の頃、テレビで見た女優さん(誰だったか忘れてしまった)の結婚会見で耳にした言葉。うろ覚えながらふと思い出すことがある。
相手を好きとか嫌いとかって話じゃなくて、その人の子孫を残したいっていうモチベーション、なんだか新鮮だったのだ。

女性が、この人の子を産みたい!と思う場合と、男性がこの人との子が欲しい!って思う場合。
男性の方がハードルが高いんじゃないか、ふとそんな風に思う時がある。

卵子と子宮を持っていれば、精子さえもらえれば自分で産めるけど、男性は卵子だけもらっても自分では産めないから、その人に妊娠してもらうか代理出産をお願いするか・・・。
愛し合ってる二人で頑張ったらええやん〜って話もあると思うが、あえて「もらう」と書いたのは、子作りのモチベーションってパートナーによってバランスは様々だと思ったから。

妊活に協力的じゃない夫が登場する小説を先日読んでいて、ただでさえ肉体的負荷の大きい女性が一人で踏ん張るって、かなりのエネルギーが必要で大変だなぁなんて思っていた(夫もっとがんばれよ!ちゃんとしろよ!と)。
と同時に、男性はパートナーが協力的じゃなかったらそもそも困難すぎるんじゃない?って気がしたのだ。(さっきの公式の通り)

そんなこんなで我が家の話。
われわれ夫婦は、夫は子供がとっても欲しいそうな。わたしはどっちでもいいと思っている。

何が何でも子供が欲しいなら、私以外の人と結婚することも視野に入れてくれというのは婚前よくよく言っていたこと。
若かったし、夫がピンときてたのか不明すぎるんだけど、作るなら私との子が欲しいというモチベーションとのことで、私と結婚することにしてくれた。

生活に余裕がなかった時期、体を壊して投薬治療をしていた時期が終わって、気付けば結婚して約10年。くらしが落ち着いたところで、ひょんなことから不妊治療に片足を突っ込んで現在に至る。

そうして思うのは、やはり女性(妊婦になる人)に主体性がないと難しいなということ。
何が何でも欲しい!ってわけじゃないのに不妊治療することに後ろめたさを感じたりもしている今の自分はどこにむかっているんだろうか、と足元がぐらつく。
「夫のために」と産むのは違うと思うんだ(それ子供からしてみたらどうよ?って)。子供を産むべき理由として「老後のことを考えて・・・」なんて言われると、カズオイシグロの世界かよ!と思う。臓器差し出すために生まれてくるのも、介護するために生まれてくるのも違うよねと。


むかしから、生き物を育てたり一緒に暮らすようになるのは成り行きや偶然の出会いからだった。
ベランダに迷い込んできたインコ、喘息持ちの子供が生まれて動物が飼えなくなった家から譲り受けたカナリヤ、怪我をして学校で暮らせなくなったハムスター、同居人が飼い始めたプードル、玄関に居付くようになったネコ・・・・。
ふらりと遊びにきて泊まっていく友人たちや、住み着きそうな勢いで連泊する親戚の女の子といると「もうずっとここで一緒に暮らしちゃおうよ!」という気持ちになってくる。

なにか一大決心をして始まったことはなくて、行き掛かり上そうなって家族が増えていく。
それが私の中で自然なことだった。

だからきっと、一大決心の先にある子作りにピンときていない。


これって責任回避なんだろうか。覚悟と勇気があればいいんだろうか。
それが湧いてこないのは、己の未熟さのせいなんだろうか。

どうして夫と同じ気持ちになって一緒に頑張れないんだろう。そのことが悲しい。
妊活欲とか母性が欲しい。

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