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【第二十二回】ちょっと小腹がすいたんで。

ほしの家〜中華そば 葵〜自作

誰しも思い出の味ってのはありますよね。
遥か昔、大好きだった店。
遠い昔、足繁く通った店。
親に連れられていった店。
帰りに道にあってよく寄った店etc……

でも大概、昔になれば昔になるほどその懐かしい味は店を畳んだとか何らかの理由でその店が消失してしまいもう食べられなくなっていたりする。

もう一度食べたい味、誰しも一つはあるような気がする。

諦めのいい人はここで、思い出として心に大切に仕舞っておくことでその件は落着する。

でもね、諦め悪いんすよボク。

ボクにもご多分に漏れずそのもう一度食べた味ってのがあったりして。
そしてしっかりとその店はもうこの世から姿を消してしまってるわけで。

ほしの家

川口にあった夜泣きそばの名店だ。
一時期は塩ラーメンなんかが新座のぜんやにも負けないみたいに騒がれたことすらあった。

この店へボクの親が好んで通っていてそこに連れられてボクも子供の頃から慣れ親しんだラーメン屋だったのである。

ほんと、TBSラジオのかかるなんでもない昔ながらの店ですよ。
並びすらないながらいつも満席でね。
ここで食う「四川バラチャーシュー」ってラーメンが本当に好きで好きで。
幼いながら連れて行かれたら夢中で食べていたモノだ。

成人してからも近所の幼馴染とここで飲んだりしてね。
まぁほんと、昔懐かしい思い入れが詰まった店だったんですハイ。

ところが誰にでもやってくるもんでこの店が数年前に張り紙をしたまま開かなくなった。
何度訪ねても店はやっていない。
内情は詳しくはわからないが所謂まぁ、急遽閉店ってやつですよ。

いつかくるなーと、覚悟はしていてたモノの、行きつけロスは相当なダメージでありまして。

もうあの味が食べられない━━━━

と思うと急に食べたくなるのは人間の卑しい性なようで。

以前から自宅で再現しようと試みてはいたが、知識も技術もなにもかもが足らなくて味に近づけるわけがなかった。
この、ごま辛い濃厚なラーメン。
ロールバラチャーシューがごってり乗ったラーメン。
辛ネギがトッピングされた香ばしいラーメン。

加水率低めてプツリとした食感が特徴のこの麺。

まともなら「もう食えないかー……」
で終わるところ。
いいところで、この店に近い味を探そうくらいなもんで。

だがどこのラーメンを食ったところでこの味ではなく、余計にこの味が恋しくなってしまう。
中毒性の高い食べ物ほど、こういう傾向は強いように思える。

話は少し変わってこのほしの家を居抜きで使い始めたのが「中華そば 葵」だ。
今や、埼玉を代表していいくらい有名な店になっているしものすごく美味いとボクも思う。

特製鶏そば

この店に居抜きが入ると聞いたときに喜々として行ったモノだ。
そして出てきたキレイなラーメン。
本当に美味かったと思うし、今もちょこちょこと通わせて頂いている。

こんな自家製麺が出てきたり。
いいクオリティだよね。
都内で出してもなんの遜色もない。

レアチャーシューだってほら。
この通りの仕上がりで味もしっかり入っていて処理が上手い。

メンマも穂先なんかで洒落ている。
こんな熱々の鶏そば、探すにしろなかなかないんじゃないか。

味玉に至るまで、ホントに美味い。
自分の行きつけにこんな居抜きが入ってくれて素晴らしいことだと思う。

でもね、いくら居抜きでもやっぱり四川ラーメンはここにもないわけで。

都内の辛いごまラーメンの店へも軒並み足を運んだ。
担々麺が近いからっていうことで担々麺屋さんもずいぶん通ったモンだ。
だけど、どこの店に行っても同じ味は出て来なかった。
当たり前っちゃ当たり前のことなんだけど。

もう二度と食えないってのが食い歩けば食い歩くほどずっしりと伸し掛かるようで。

四川ラーメンを探すこと。
これがボクの食い歩きの原点なのかも知れない。

んで、かなりの軒数食い歩いて悟ったことがある。

ほしの家のラーメンはもう食えない。
これは自作する他ない、と。

さて、話は戻る。

それではじまったのが自作の旅だ。
スープを引くこと。
まずはそこからがスタートだった。
何編もスープを引いてみたりして色んな店の考察もして「ほしの家」がどんなスープを使っていたのかを自分の舌と風味の記憶だけを頼りに再現しはじめた。
割愛するが、かなりの年月をかけスープは鶏から豚、煮干し、ジビエと粗方引けるように成長するまでになっていた。
人間の執念って恐ろしいよね、それが楽しくなったのもあるけど食べ歩く度に再現の練習ってんで色んな店の習作をしてみたりしてなるべく来たるべく四川ラーメン再現への準備を着々としていた。

そして問題は麺だった。
市販の麺は論外。
安っぽい家ラーメンが出来上がるだけで店の味とは使えば使うほどかけ離れていく。
そこでプロが使う製麺所なわけだが、製麺所は個人には基本麺を売ってくれない。
しかもほしの家っぽい麺を売ってくれなんて頼めるわけがないわけで。

ならば自分で打つしかない。

ここまでくると半分狂ってるかなんかだと、ボク自身そう思う。
最初はパスタマシンで製麺をしていたが、効率も悪く繋がりも良くない。
ならば、とラーメンの自作者の背中を追ってアンティーク製麺機に手を出すわけだ。
ここ最近アンティーク製麺機は人気のあるモノで一筋縄には手に入らなかったがある筋の識者から運良く安価で譲ってもらえることになったのだ。
こいつを使って更なる自作の旅は続く。
否、まだ道程である。

アンティーク製麺機小野式。
こいつを相棒に使うようになってからは自作のラーメンがかなり上手く行くようになってきた。
最近、自作ラーメンをやる人はかなりの人工になってきているのは確か。
食べられなくなった味を再現したいが為にボクは自作ラーメンをしているしまだ飽き足らず食い歩いている。
大層なことではないが、再現したくてはじめたことが今やライフ・ワークのようになってきているのだ。

小麦粉を吟味し、加水率を確かめ自分が再現したい方向へ目標を入れる。
その繰り返しなんだけどそれがまあ面白いことよ。
なんどやっても飽きないし、なんならまだまだ失敗することも多々ある。
多くの人に趣味があるようにボクはこれが趣味の一環となりつつある。

完全な自己満足なのだ。
誰に食わせようとか商売がしたいとかそんなんじゃねえ。
もうホント完全な自己満足。

もう一回ほしの家の四川ラーメンが食いたいの。
ただそれだけなのだ。
味の構想はまとまって来てるし何度かチャレンジして問題点も見極めている。
今後もまた、同じモノを作るだろう。

んでもってそれに付随した食べ歩きのおかげでやりたいことが山のように増えるばかりなのである。
ほしの家の件で小麦粉をいじる楽しさを知ってしまったので製麺を幅広くやるようになってしまったのもある。
パスタやなんかも兎に角作りたいモノが沢山あるのだ。
起点はほしの家でもそこから派生してやりたいことが増えすぎた。
それに知れば知るほど無知を知り、道具なんかもどんどん欲しくなるのが人間の悪しき性で。

こんなほしの家自作に全く必要ない道具とかがドンドンと増える始末。

ンダノジィイイイ!!!

と、言いながらやっているから困りモノである。
おかしいよね、うんおかしい。
でもそのおかげてかなり美味いモノは作れるようになったのは事実だ。
寒い冬に冷やしラーメンが食えるしやりたい放題なのだ。
兎に角、食べられなくなる味があったなら舌に記憶させ再現する準備をはじめる。
遠い店とか利便性がない店なんかの味もそうだ。

極論材料だけはある南極の昭和基地に閉じ込められての美味いラーメンが作れりゃそれで満足みたいな気概だ。

美味いかどうかは別としてこんなレアチャーシューなんかも当たり前みたいに作れるようになってきてるのも事実。
これをチクチクと一人でやってるのが楽しいわけで。

自作麺で自作のレアチャーシューを乗っけた自作の香味油の和え玉を無限に食べる遊びとかね。
これが面白い。
こういうことをやりながら酒を飲んでる瞬間が一番幸せなのかも知れない。

ホテルの一室で美女とともにシャンパンを傾けてるより楽しいかも知れない。

そういった具合で、多分ボクの食べ歩きも自作もまだまだ終わる様相を見せない。
ほしの家の四川ラーメンがカッチリとキマったその際には速報でも打とうと思っているが。

もう一度いうがこれは再現のための自己満足であり誰かに食べて貰おうとか開業しようとか、売ろうとかそんな目論見は一切ない。
これは個人の趣味である。

さてさてじゃあ今日もちょっと小腹がすいたんで、どこぞの店の味を確かめに行こう。