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ぬいペニボーイの憂鬱

渋谷東口のタクシー乗り場はいつも小さなドラマが起きている。
”彼女”と109の近くにあるウィスキーバーでしっぽりして、そのあとタクシーに乗り込んだものの、すぐに降りて、道玄坂のラブホにはいった。
ここまでは完璧だった。
ところが。彼女がゆるしたことと言えば、ソファのうえでキスをして、一緒にお風呂にはいったこと、たったのふたつだけだった。
風呂から出ると突然、それまでの彼女はスルリとどこかへ飛んでいってしまったようだ。
ソファで愛撫をしたときに、彼女のストッキングを破いてしまったことに肚を立てたのかもしれない。
ベッドの上で、仰向けになって寝る俺、背を向けて寝る彼女
ね静まったと思ったら、とつぜん彼女は俺の首に両の腕をまきつけてきてキスをした。こちらから強く抱きしめようとすると、彼女はつよく払いのけて、そしてまた同じようにプイっと。
その晩、彼女はなにを考えていたのだろう?
なんでストッキングが破けたのか、誰か突っ込まれたときに説明するためのつくり話を考えていたのかもしれない(エッチなことしたんですね?と凸してくる女勇者がどこの職場にも一人くらいはいる)
早朝、先に一人でホテルを出、職場へと向かった。
頭上にカラスの鳴き声が聞こえたので眼をあげてみた。淡い星空に数羽が飛んでいくのが見えた。
しかし汚ねぇ街だよ。
溜池山王の職場につくやいなや皆から揶揄われた。いわく、ひどくしょげ返ってる、と。なんといっていいのかわからず大声で冗談をやり返して。
その日はずっと魚が死んだような目をしていた。
彼女は職場の同僚だった。
俺は客先常駐のエンジニアだった。
むこうは常駐先の社員。業界で「腰掛け」と揶揄されるほどの離職率を誇る会社だ、社員ですらバンバン逃げ出すのだから、俺みたいなモンは彼らからみると日本語を話すサンドバッグ兼ルンバみたいなものだった。
かつて、はてなの記事で外資系社員が出向エンジニアのことを”ショッカーの雑魚”と揶揄していたが、体感的にはまさにそれで。
人間と思っていないとはさすがに言い過ぎだとしても東南アジアから来た”煮ても焼いてもかまわない系”の留学生のような扱われ方だった。
そのうちマネージャーからチャットがくるたびに、激しい動悸が襲ってくるようになった。
彼女も地獄の季節を過ごしていた。
パワハラ野郎に、皆の衆が見ているなかエッグイ詰められ方をしていて、途中で我慢が限界にきたのか「ウー」って唸って泣き出したりして。そんな見ちゃいけないかもな場面も目撃したことがある。
彼女も超立派な大学を出て世間では”立派なところ”とされる外資系に入った賭け値無しのバリキャリ女子のはずだ。
どんな優秀な人であろうと、人生の最大の汚点となるような時期があり、凛々しい姿からは想像もできないような、どうにもみじめでみっともなくカッコ悪いエピソードがある。
そんな彼女にとっての「最低最凶に悪い時期」のメインキャストの一人がたまたまなぜか俺だったのだ。
第一印象は「お高くとまっている小娘」
チビ。容姿は平均以上に可愛かったけど俺に対して(ひとまわり年下なのに)ふとした瞬間「○○して?」「○○やって?」みたいな言い方をしてくる。あのさ俺さ、生まれが九州だから、ちょっとねえ。そういうのお受けできませんのよね。
てのは冗談だけどさ。こちらも立場が立場だから仕方がないから黙々と応じていた。
何か月くらい昼でも夜中でも一緒だから別に男女のコミュニケーションは無かったはずだけどそのうちに妙な絆めいたものは確実に芽生えていた。
仲良くなっちゃった。
「被抑圧者」枠の同志ということで多少、無理目な壁をジャンプしちゃったのだ。これぞまさに解放思想のあけぼの?
尊卑にしばられた世間常識を打砕した奇蹟の事件として、このことはしっかりと胸に銘記しておきたい。
「ラインってあります?」
とある日とつぜん聞かれたのだった。このことははっきり覚えている。いつ頃だったか?2013年あたりだと思われるが、
「ライン???」
職場のすぐ目と鼻の先に六本木もあり。コンサル会社のど真ん中で働いていたのにも関わらず、圧倒的に情弱だった俺は、ラインのラの字も知らなかったのである。
「はあ?ラインねえ」
ラインをダウンロードして「ふるふる」(懐かしい)で友達追加した。
しばらくして普段の彼女の人物造形からは乖離した、森で一人寂しく震えてる感じの、北欧の女の子みたいな感じのラインが来るようになった。
こちらもこちらでいっつも超絶ふざけ倒した受け答えをして。これって心理学でいうところの「解離」だと思うんだけど、お互い心身のバランスが取れなくなって正常な判断力を失ってたのである。
でもあれなんだよ。この距離感なら喫茶店とかに誘うじゃないですか?当然OK貰えると思うじゃないですか?
だのにそこは「ごめんなさい!その日は駄目なんですぅ」とケロッと裏切ってくるのよね。
溜池山王のピカピカのオフィスの一室の景色に汚らわしいものがあった。それが俺だった。俺はいつも深夜まで職場にいるのであった。毎日サブウェイのサンドイッチとポテトとコカコーラを飲み食いし。それとスナックを持ち込んでパリパリポリポリ咀嚼音を立ててそれが職場中の社員たちの耳に障る。忙しい時期になるとまったく家に帰らずカプセルホテルや何処彼処で雑魚寝をしているのであった。毎朝、襟のよごれを歯ブラシで磨いているのであった。そうなると数日間同じスーツとシャツを着ていて髪がゴワゴワになっていた。俺は名前のない有名人だった。
ライン上ではお互い、職場の話は一切しなかった。そんな態度について相手はどう思っているのか知りたいとも思わなかった。職場についてはお互いひたすら他人のようなふりをして黙っていたのだ。たまーに夜中に彼女が甘えようとしてくるラインがあって。でも俺はつれなくしていた。そんな心の余裕なんてなかった。
あのセックス未遂事件以降、彼女は俺に頼るようなそぶりはみせなくなり、いままで以上によそよそしく冗談めいた風に話をするようになった。
社会的立場でいえば俺よりもはるかに上のランクの相手だ、俺も接しているうちに無意識に傷ついていた。相手もそんなことはお見通しであっていろいろコイツめんどくせぇと重荷に感じるようになったのだろう。そもそもの話、大島てるに速攻で通報されそうな事故物件だ。わかってる。俺じゃ下方婚対象にもならん。
ハチャメチャなスピード感で動いている会社だった。できる人はどんどん出世していく。俺のあずかり知らぬところで彼女にも職責を与える話もあっただろう。ただあの会社は一人の社員に期待をかける心算なんぞ毛頭なく、ひたすら無理目な過度なプレッシャーを与えて「試す」だけである。
何年もそういう日々を忍耐させて生き残った僅かな人間にだけ、それなりの形の花束を与える。
外資系はとどのつまり
同意か
敗退か
彼女は成長したかったはずだ。つまらない男の相手をしている暇は1ミリもなかったはずだ。ある時期を過ぎてから彼女を悩ませてしまった気がする。逡巡している彼女をよそに何にも知らない察しない俺は無邪気に休むことなく仕事してた。
その日
仕事から帰ってきて
シャワーを浴びて明日の支度にとり掛かる前に
ラインが来た
「恋愛感情全然ないけど、好きです」
何か月ぶりのライン
テレビから「明日は雨になります」と音声が流れていた
五月をむかえ
いよいよ暖かくなってき
樹葉の青々としているのが
その時の印象はといえば
暗然としていた
​風景を
ぼーっと見つめていた
独り言をいっているようなラインが
次々に来た
その文面は次第にドギマギして
そのまま終わった
翌日
会社を休んだ
今まで一度も
休んだことがなかったのに
熱があっても出社していたのに
はじめて休んだ
アイフォンを手に取り
「すいませんどうしても体調が悪いので今日だけは休ませてください」と
連絡した
朝になると必ず窓を開ける習慣があるので
雨風が部屋に吹き込んでいた
げっそり寝不足な体に吹きさらしになって
これが染みる
鈍いのだ
俺は
それをいのいちばんに伝えるべきだったのだ
いちばん堪えたのはそこかな
「私を導いてくれる人がいい」
かつて
彼女はそんなことを言っていた
「そうなる!」とはとても返せなかった
無理
だから
そういうとこだ
「私は君にいろんなものをあげたのに君は私に何か与えたことがあるの?」
こうしてまた一人になってしまった
ラインは二人のやりとりの跡がそのまま
生産性皆無
ダラダラと
ふざけ倒しただけの
とっちらかっただけの
トーク履歴
「何かあったの?」
と聞いてきた同僚がいた
彼女との間の”溝”を感じとったのだろう
勤めて平静を装っていたが
つらかった
恋愛感情全然ナイケド好キデス...
くそ
あの女
俺はぬいぐるみじぇねーぞ
あー
東京ってすげー

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