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同窓会

学生時代の友人と会う機会もなくなった。
自分が職についていないのが原因だった。
高校は商業高校で、就職先も有名なところに決めた人も多くいた。

ボクは東京へ行ったことで、会う機会も減り
挫折して帰郷したから、恥ずかしくてさらに会えなくなった。


50歳になったときに、同窓会の招待状が届いた。
ボクの高校は、50歳になったときに、必ず同窓会が行われる。
ホテルを借りきり、ゲストも呼んで大々的に行われるのだ。

そのときのゲストは「清水あきら」さんと「ドクター中松」氏
司会は「久保ひとみ」さんだった。
その年の役員がゲストを選ぶらしい。
ひとつ上の人たちのときは「海援隊」を呼んだらしい。

ボクがまともに人生を送っていたなら
「役員になっていたのか?」と思われたけど
挫折から立ち直れずにいて、代役が頑張ってくれたように感じた。
クラスの女性代表の役員が「研修委員」であった「手塚久美恵」さん
だったから、勝手にそう判断した。
なぜか、「研修委員長」になって、修学旅行でスピーチまでやったボクが、役員になれず「申し訳ない」次第である。


「高校時代の友達は、一生の友達になる」と聞いた。
思春期を過ぎ、個性が確立したころに仲良くなるからだろうか。


「また、みんなに会いたいな・・・」

毎週のように朝礼で「ソロバンの成績」を表彰されてた「二橋」さん。
「同じ一人っ子」で同じ部活だったけど、いろいろ知ってた「氏原」くん。
「4人の姉がいた」からか、とても優しかった「和久田」くん。
何かと「ライバル視」してきた、同じ部活に遅れて入った「升久」くん。
ボク同様に「特撮が好き」だった「安形」くん。
「初めて高校で友達になった」、中学でバスケをやってた「古橋」くん。
学校の帰りに、一緒に「ゲームセンター」へよく行った「小池」くん。
「バスケット部の部長」で、球技大会で褒めてくれた「???」くん。

そして恩師である「増田」先生・・・


高校時代は楽しかったです。
みんなありがとう。

ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。