<連載>OMと旅する鉄道情景(第9回/神谷 武志)GROUP K.T.R
「失われた鉄道情景」の美を求めて
~旧士幌線・タウシュベツ川橋梁に行く~
水底深く眠る幻の鉄道橋
静かな山あいの温泉町・糠平郊外、ダム湖の対岸に、タウシュベツ川橋梁はあります。
士幌線は国鉄民営化直前の1987(昭和62)年3月23日に全線が廃止になりましたが、実はそれ以前の1955(昭和30)年8月、糠平ダムの完成にともない、誕生した糠平湖西岸へ一部線路を付け替えした歴史がありました。
この橋梁は、水底に沈んだ旧線にかかっていた鉄道橋。列車を支えることがなくなった70年にも及ぶ歳月を、永遠の時が流れるような湖底で過ごしてきたことになります。
しかしここの最大の特色は、人造湖である糠平湖の季節ごとの貯水や発電で、水没したかに思えた全姿を地上に現す時期があるというところ。その神秘的な出現の仕方もあって「幻の鉄道橋」とも呼ばれています。
あまりに美しい姿カタチと秘境感も相まって、最近急激に人気の出てきたエリアになってきました。
ただ、水没と露出を70年近くにわたって繰り返していれば、その傷みは年々増幅していくのは自明の理。廃線跡でありながら、当地一帯は第一回北海道文化遺産に選定され、また準鉄道記念物にもなっていますが、悲しいことに人気と反比例するように近年劣化と崩落が進んでおり、「全部が繋がった橋の状態」であり続けられるのもあとわずかではないかといわれています。
橋と水位の関係は、やや時間遅れながらも
地元糠平の「ひがし大雪自然ガイドセンター」のHP「今日の糠平湖」で見ることができます。
私もそのHPとにらめっこする日が続きました。
水位が上がりながらも水没はせず、かつ太陽の位置と日の出時刻がベストになる時期を虎視眈々と狙う毎日。現地ガイドツアーももう間もなく終わりだという晩秋の時期、ようやく時機到来と判断。急いで現地に向かいました。
超広角が描く、アマテラスの美
当日のツアー集合場所、糠平温泉文化ホールの朝6時。やってきた参加者は総勢15人。なかに何回もタウシュベツを訪れているという鉄友Mくんの姿を発見。彼は横浜に住んでいるのですが、聞けばこの天候と水位を予測して、万難を排して帯広に飛んだとのこと。四季折々の美しい橋梁のカットも見せてもらいました。う~ん。さすが。
神谷が毎度おすすめしている「日の出日没アプリ」では、当日現地の日の出時刻は5:46。日の出の方角もベストです。もちろん当地は山間なのでこれよりもずっと遅れますが、集合場所を出るときはすでに日の出あと。刻一刻と昇っていく太陽に「いったん止まってくれ!」」と思わず声が出てしまいそうな思いで、橋梁に向かいます。
山道を走ること20分。ワゴン車を下ります。
生い茂った白樺原生林の暗がりを抜けた先。
今までの照度不足の帳尻を合わせるような、
いきなり明るく一面が開けた丘の先。
その橋はありました。
古代ローマ遺跡をも思わせる優美な姿。
この橋梁の上を、9600の牽く貨物列車が走っていたんだ…。
ほとんど秒ごとに気温も上昇、波静かな人造湖の湖面に漂う水蒸気のゆらめきもどんどんと消えていきます。
ところで画面に太陽や、その輝きのポイントやアクセントを入れる「アマテラスな鉄道写真」を得意としている私。もちろんそれを念頭に置きながらやってきた橋梁のほとり。広々とした風景に太陽の添景…というアングルは、一方では広角ズームレンズの宿命、ゴーストやフレアとのたたかいでもありました。
ファインダーから目を離した隙にも状況が変化していくような中、レンズ交換する間ももどかしい。
こんなとき、絶大に頼りになるレンズがM.ZUIKO DIGITAL ED 8-25mm F4.0 PRO の一本です。
35㎜換算16㎜、ほんのわずかのカメラの振り方で写真が変わるダイナミックな超広角。
フレアが出ても、わずかの振りで解消できる場面も多数。
「アマテラス派」の撮影者には、心からおすすめしたい。セールストークでなしに、ほんとうにそう思います。頼りになる一本。
過去、どのくらいの場面で泣いてきたことか。
このレンズに出会えてよかった。
十勝三股の邂逅
タウシュベツ橋梁のあとは、Mくんのクルマにちゃっかり乗せてもらって廃線跡を訪ねます。
糠平から先、士幌線の終点だった十勝三股は、50年近く前、すでに極端な過疎ぶりに、当時としては異例の「鉄道運休、常時マイクロバスで代行運転」が行われた区間でした。そのころ読んだ鉄道趣味誌に訪問ルポが載っていて、「『この区間の定期利用客は1名。糠平の小学校に通う子どもだ』と運転士は語った」という記述が印象に残っています。
かつては原木の出荷で賑わい、森林鉄道も接続していた十勝三股駅跡。
無人の構内に立つ復刻駅名標が、天空を取り込んだような小さな水たまりに姿を映していた。
広大な土地を次第に飲み込んでいくような原生林にささやかに対峙するように、小さな風情あふれる喫茶店が一件ありました。
この一家の4人が、往時人口1500人を擁した、当地の伝統を守る最後のメンバーなのでした。
おいしいケーキを運んできてくれた女性に、当時の雑誌記事のことを伝えました。
「40年以上前その記事を読んで、ここを訪問したことがあります」と。
女性の返事は、私をしみじみとしたタイムトリップに引き込むのには充分でした。
「その子どもは私で、運転士は父です」と。
筆者紹介
神谷 武志(カミヤ タケシ / Takeshi Kamiya )
1963年 東京都新宿区生まれ。1995年より、交通新聞社「月刊鉄道ダイヤ情報」誌にて海外蒸機紀行を6年、国内編を4年、足掛け10年間連載を担当。ほかJAL機内誌や鉄道雑誌(日本・台湾)などで活動。著書は「世界を駆ける蒸気機関車」(弘済出版社)、「日本路面電車カタログ」、「蒸気機関車紀行」(イカロス出版)など。クラブツーリズム社写真ツアー講師。「鉄道写真をもっとオトナの趣味に」をテーマに、地元・鉄道・撮影者がみなHAPPYになれる関係を目指して、さまざまな撮影イベントを企画・運営している。
※GROUP K.T.Rとは、このnoteを担当する「鉄道を愛し、OMを愛する」3人のフォトグラファー牧野和人、神谷武志、高屋力の名前のイニシャルから取った頭文字です。
グループの首謀者神谷の準地元であり、OM SYSTEMの地元でもある「京王線」の旧社名をリスペクトした名称でもあります。今後もさまざまな鉄道ネタをご紹介していきます。どうぞお付き合いの程、よろしくお願いいたします。
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