見出し画像

人の温かさ、足りてますか?「共存」を大事にする湯河原のお食事処「おりーぶ」

こんにちは、Webライターのたーぼーです!
みなさんは神奈川県南西部にある湯河原町という街をご存知でしょうか?

温泉街である湯河原町は「人を癒して1200年」のキャッチコピーを持ち、田舎ならではのリラックスした雰囲気が町中に漂っています。しかし「町の名前は聞いたことあるけど、どういう人達が暮らしているのだろう」と気になる方も多いと思います。

今回は湯河原町に移住し、昨年『お食事処 おりーぶ』(以下、おりーぶ)をオープンされた飲食店オーナー、白石葉子さんにお話を伺いました。

これから湯河原町へ旅行や移住を検討されている方に、ぜひ読んで頂ければと思います。

湯河原駅前(筆者撮影)




はじめに

湯河原ってどんな場所?
横浜から電車で約1時間ほどの場所にある湯河原町は、神奈川県の小京都と呼ばれています。人口は2024年現在で約22000人で、伊豆の玄関口として有名です。高齢者の割合が高く、2020年の高齢化率は43.10%を占めます。そのため町全体が若者の移住に積極的です。都会では感じられないくらい町の人同士の距離が近く、知らない人でも気軽に挨拶を交わし、世間話が始まるのも普通の光景です。

『おりーぶ』は湯河原町の温かい空気感を体現するようなお食事処です。オーナーである白石さんがフレンドリーなので、私達お客さんとの距離が近く、一度話せば家族のように暖かく接してくださります。またお店の中で他の飲食店とコラボ営業をしたり、町のイベント会場としても積極的に貸し出したりなど、町との関わりをとても大事にされています。

オーナーの白石さん


①埼玉の会社生活から一変、友達の影響で湯河原に来ることに

ーー簡単な自己紹介をお願いします。
宮崎県延岡市で生まれました。高校卒業した後に九州を離れ、東京の商社に勤めたり、埼玉で不動産アシスタントのお仕事をしたのですが、ひょんなことから湯河原に移住して、昨年の11月に「お食事処 おりーぶ」をオープンしました。

結婚もしてそれなりの生活を送っていましたが、息子が進学して親元を離れ、夫とも別れ、結婚生活も一区切りついた時にふと「このままでいいのだろうか」と自分の将来について考え始めました。

ーーそこが転換期だったのですね。
そうですね。その当時は埼玉に住んでましたが、雇用形態がパートだったので将来性があまり無いという事に加え、たまたま自分の身の回りで不幸が続いたんですね。それで「人生っていつ終わるか分からないんだな」と実感したんです。丁度50歳のときでした。70歳や80歳で何か新しいことを始めるのは難しいと思ったので「このタイミングしかない」と思って独立に踏み切りました。

ーー紆余曲折を経てしようと思ったのですね。飲食店での働いた経験はあったのでしょうか?
飲食業は未経験です。代わりにホストファミリーの経験があるので「人が集まる場所を作りたいな」とずっと思っていて、そういう場所に一番適しているのが飲食店だと思いました。どんな人でもご飯は毎日食べるから気軽に会いにきてくれるし、何よりみんなと一緒に食べたらお客さんも美味しく食べられます。

『おりーぶ』の内観

ーー人と人との交流を大事にされているという事でしょうか?
とても大事にしています。ホストファミリー時代から外国人を家にたくさん受け入れていて、日本語を教えたり、一緒にお出かけしたりしてました。そうしていくうちに「元々は知らない人同士が繋がって、そこから仲良くすると急にお互いの仲って深まるんだ」と実感する事が多かったんですね。1つの化学反応を見ている気持ちになります。

ーー移住先に湯河原町を選んだ理由は何でしたか?
地元の宮崎県と空気感が似てたからですね。山や海や川などの自然に囲まれてる感じがそっくりなんです。湯河原を知ったきっかけは埼玉で仕事をしていた時、友人が熱海市に引っ越したことです。友人が隣の真鶴町にあるのカフェでアルバイトをしていたので、よく遊びに行くうちに、ここが気に入り、湯河原に住みたいと思うようになりました。

ーー真鶴町にもよく行かれてたのですね。
はい、真鶴町も自然がたくさんあり、素敵な方がたくさんいらっしゃいました。ただ、川の近くに住みたかったので、スーパーやドラッグストアなど生活するための環境が程よく整っていて、温泉のある湯河原町で物件を探す事にしました。半年ほど埼玉と湯河原の2拠点生活を経て、移住を決断しました。


②白石さんが思う「湯河原町」とは

ーー湯河原町に実際住んでみてどうですか?
とにかく人が優しいですね。町の人はほとんど自営業で、みんな自分の好きなことをしているので心に余裕があるんです。急いでいる人、愚痴を言ってる人はほとんど居ないですし、隣同士でどんどん物の貸し借りはするし、積極的に助け合います。たまに東京から週末利用で来る人も来ますが彼らも経済的に余裕がある人が多く、優しい人が多いですね。町全体がお金よりも人との結びつきを大事にしてます。

湯河原町の街並み

ーーなるほど、居心地が良いということでしょうか?
そうですね。人が暖かいのはもちろん、私達みたいに世間話をしながらのんびりご飯を食べれる場所がたくさんあるし、『おりーぶ』から徒歩2分ほどの場所にある万葉公園も滝や川が見えたりするので、都会の生活に疲れた人が休む場所としては丁度良いですね。

ーー『おりーぶ』をどういうお店にしていきたいですか?
シンプルに湯河原町に愛されるお店を目指したいですね。まだしっかり言語化できないのですが「引き寄せの法則」が大事だと思うんです。自分が楽しく、元気にやってたら、お客さんも楽しくなるしその逆も然りです。だから自分からお客さんや他のお店の人に積極的に話しかけに行ってます。


③湯河原では「人に頼ること」が当たり前

ーー白石さんのモットーはありますか?
「共存」ですね。人の価値観は違っていて当たり前なので、誰もが互いに認め合える世の中になって欲しいですね。特にこれからの時代は徐々に人も減っていきますし、助け合っていく事がより重要になっていくと思います。

身近な衣食住だってそう。ご飯や家、衣服を作るプロの人達が居るおかげで私たちは日々生活出来ている。そこにリスペクトの気持ちを持つ事はとても大事だと思っています。

湯河原町ではみんな自分が出来ない事はどんどん周りに頼っていますし、私も同じように頼っています。日本人は「人に迷惑をかけてはいけない」と教わるから頼るのが苦手な人が多いけど、頼られて迷惑だと思った事は一度もないです。むしろ頼られたら嬉しく思いますよ。「あ、この人の役に立てたんだ」って存在意義を感じますから。

「頼られる関係性を増やしたい」と白石さん

ーー確かに、人同士の交流が希薄になりがちな今だからこそ「共存」が大事になってきますよね。
特に湯河原町は単身の人も沢山いるので、そういう人達に仕事や事業をしている人を紹介したいですね。その繋がりから結婚するのも有りだし、空き家になった物件を借りて暮らせば若者も増えて町にも優しいと思います。

④今後やっていきたい事は湯河原の良さを再発見すること

ーー白石さんが今後湯河原で挑戦していきたいことはありますか?
豊富なホストファミリー経験を活かし、旅館を使って外国人を受け入れるシェアハウスを作りたいです。湯河原町をより広く世界の人に知ってほしいですね。彼らのお母さんのような存在になって、ホストファミリーの時みたいにご飯を振る舞いたいです。

ーーインバウンドのお客さんを湯河原に巻き込むと面白そうですね。
彼らってとても素直なんですよね。日本人が忘れている日本の良さをストレートに教えてくれます。川の音が心地よいとか、電車が時間通りに来るとかって、私達からしたら当たり前なんですけど、それが意外と日本の良さだったりもするんですよね。

それを再発見してくれるのは日本人じゃなくて外国人なんです。彼らが湯河原町の魅力も再発見し、町が活気付けば面白くなると思います。一緒に湯河原町を盛り上げていけたら嬉しいですね。

湯河原町と熱海市を流れる千歳川

ーー編集後記

ご自身のモットーを「共存」と語る白石さん。自身も紆余曲折を経験されているからこそ、一般社会では異質とされているバックグラウンドを持つ人にも理解を示し「どんな人が居ても良い」と語ります。

皆さんも職場やプライベートなどのふとした人間関係で「あの人は変わり者だ」「理解ができない」と自分と違うバックグラウンドを持つ人に対し、排他的な態度を取ってしまう事はありませんか?

多様性の時代に突入し「結婚をしない」「就職をしない」など従来の価値観から一歩踏み出す生き方をする人が増えた今だからこそ、「こういう考えや人生があってもいい」という「共存」の精神が求められるのではないでしょうか?

白石さんだけではなく湯河原町は共存を大事にし、価値観が違う人同士助け合って生きています。ぜひ直接訪れて、その空気感を体感してみてください。

(写真提供:おりーぶ)


《各種リンク》

・HP
https://olive-yugawara.com/

・Instagram


筆者プロフィール:POOLO JOB3期生 たーぼー
徳島県出身。ヒッチハイク200台を経験した後に神奈川県湯河原町のゲストハウスで住み込み生活スタート。沖縄県のWEBライターとしても活動している。趣味はカフェ巡りや散歩。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?