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Black Lives Matterデモを横から見てみた(2)

 Black Lives Matter!  パンパンパンと三拍子で。デモで叫ぶには良いリズムです。略してBLM。これを日本語に訳すのは難しいらしいです。ニュースでは、Black Lives Matterとそのまま引用して解説をつけるといった感じで対応しているのをよく見ます。ストレートな訳の「黒人の命は大切だ」が一番採用されているようです。運動の文脈を汲んで「黒人の命を守れ」「黒人の命を軽視するな」といった訳し方もあります。matterは「問題になるほど重大である」という意味にもなるので、「黒人の命は重い」もありかなと思ったりします。

 BLMについては、他人種の命はどうなんだと突っ込みが入ったり、この件だけで別の記事ができるくらい本国アメリカでも議論があります。BLMが注目されているのは、黒人の命(や「人生」「生活」)が失われる確率が高いからですが。

 ここからが私が見てきたご近所デモの話です。なかなかまとまらず、時期を逸してのアップロードになってしまいました。

 お隣のボストンでは数千人レベルの大きなデモが連日ありましたが、私のアパートから歩いて片道1時間半。このコロナの中、大勢が密集する中に身を置くなんて、とてもとても無理…。

 一応、デモ予定はわかるのかなと思い、rally(集会)という言葉を入れてネット検索してみました。さすがデジタル社会です。デモ情報掲示板というものがしっかり存在しました。そこから主催者のFacebookにジャンプできたりします。その中に翌日夕方、歩いて20分のところでデモがあるという情報が。町の規模からして参加者も少なそう。これなら大丈夫そうです。

 自宅から歩くこと20分少々、開始時間から少し遅れて現場に到着しました。予想通りそれほど多くの人はおらず、ざっと150〜200人くらいの参加だったと思います(前の投稿「Black Lives Matterデモを横から見てきた(1)」の写真が現場です)。集団の輪の端っこから微妙な距離をおいた地点で、参加者か見物人かどちらともつかない感じで立つことにしました。

 参加者はみんなマスクをつけています。マサチューセッツ州では公道やお店でのマスク着用が義務づけられています。デモするならルールは守りましょうという了解が参加者の間でできているようです。お巡りさんが遠巻きにポツポツ配置されていますが、暴動になる気配はないので、のんびりした感じです。

 今回のデモは多様な人種が参加しているのが特徴的と言われていますが、私が見たこのデモでは白人の若者が参加者の多数を占めていました。アフリカ系黒人の姿は少なめで、インド系かなと思われる人はそれなりにいる。違和感があったので後で知人に聞いたところ、「その辺の不動産屋は、あからさまではないけれど黒人に家を売ろうとしない」と言っていました。さりげなく、でもきっちりと人種差別があるのです。

 参加者に若者が多いのがさらなる特徴です。これはメディアの分析と一致します。彼らの若さには注目しておきたいと思います。というのはこの町、住民の平均年齢が高めなんです。特に今は、コロナのせいで学生が寮や大学を追い出されて減っているので、さらに高くなっているはず。それでも参加者の9割以上が若者でした。若者の定義も難しいですが、30代までは若手に入れておきます。

 数人に1人は段ボールなどのお手製プラカードを持っています。定番の「BLACK LIVES MATTAR」「CHANGE」などに加え、「DEFUND (あるいはABOLISH) THE POLICE (警察に予算を出すな、廃止しろ)」という警察批判が目立ちました。今回のデモが、人種差別の中でも警察による暴力に焦点を当てていることがよくわかります。日本では、警官はかなり大きな信頼を得ている職業ですが、ここではどちらかというと怖めの存在に感じられます。過剰な暴力を振るうことも多い人たちだと、しばしば非難の対象になってしまいます。・・・ここで見守っているお巡りさんは複雑な気分だったことでしょう。

 おお、と私が思ったのは「(WHITE) SILENCE IS VIOLENCE」というプラカード。気づかないから知らないからと、黒人に振るわれる暴力を見逃し声をあげない白人もまた、暴力に加担しているという指摘です。white spremacy、白人の特権という言葉が近年注目されています。グラミー賞を受賞したビリー・アイリッシュもこの言葉に触れていました。

 彼らが現場で何をしたかというと、まず掛け声。誰かがコールを始めると全員が続いて繰り返したり合いの手を入れたりします。さすが英語、実にリズムがいいのです。たとえば、

Black Lives Matter!  パンパンパン

No justice, no peace!  (正義がなければ平和もない) タタタン、タタン

This is what democracy looks like. (これが今の民主主義の有り様だ) タンタンタン、タターンタンタンタン ←口が回りません

被害者の名前を呼ぶコールもありました。

Say his name! --George Floyd! 

そして

Say her name! --Breonna Taylor! 

・・・何? わかんない。状況からして、ひどい目に合った黒人女性のテイラーさんであることはわかりました。(この方についてはまた別の所で書きます。)

 こうしたコールは1分くらい続くと自然に声が小さくなり、そろそろやめようかという雰囲気になります。そしてワーッと拍手して終わり。しばらくすると別のコールが始まります。バリエーションとして片膝を地面につけて跪くkneeling。これもせいぜい2、3分でした。

 脇を通り過ぎる車がしきりにクラクションを鳴らして通り過ぎます。最初は危険を警告してるのかと思いましたが、デモ参加者たちがヒューヒューと歓声を送るので、応援クラクションと気づきました。これは日本人がやらない行動ではと思います。抗議の権利を尊重している社会ならではです。

 私は端にいるかいないかくらいの立ち位置でしたが、一応掛け声やkneelingは参加しました。場に合わせるのがいかにも日本人ですが、それ以上に差別反対の気持ちはありましたから。でも1時間弱も見ているとだんだん飽きてきました。途中で帰る人もいて、なんとなく集まってなんとなく帰る感じの、ゆるい雰囲気です。市庁舎の前で叫ぶとかしないのだろうか。

 そろそろ帰るかと思っていたら、集団が動き出しました。行進してどこかに行くようです。ここまで適当なコールの繰り返しばかりだったので、まあいいかとお別れしました。後で地図を見たら、行列が向かった方向の先には公園しかありませんでした。推測ですが、しばらくコールを繰り返し解散したのだと思います。こうして私のデモ参加、ではなく、観察は終わりました。帰り道、デモが通り過ぎる傍のベンチで無関心そうに本を読んでいた学生らしき黒人の女性の姿が目に入りました。

 横からご近所デモを見た感想は、抗議の内容は深刻だがやり方はゆるいなあ、でした。都市部のデモではスピーチなどもあったりするようですが、ご近所の小規模デモはこんなものかもしれません。ただし「ゆるい」は必ずしも「てぬるい」という意味ではありません。デモの予定の組み方や、現場での行動、その場の流れの中で合意形成されていく感じが、前々からある程度きっちり計画していたのではと思われる昔のやり方と違うような気がしたのです。デモ初参加ですから、あくまで印象ですけど。SNS上で、あるテーマに興味のある有象無象の人が集まってくる感じに似ていないでしょうか。ここでは主導する組織やリーダーは不在あるいは存在感が薄いように感じました。

 若者が多いと書きましたが、参加した時はミレニアル世代なのかなと漠然と思っていました。一般には、このデモはその下のジェネレーションZ(若いミレニアルも含む)と絡めて分析されることが多いようです。1980年頃から1995あるいは2000年頃生まれ、40から20歳くらいのミレニアルと、1995から2010年頃生まれの25から10歳のジェネレーションZ。SNSを駆使してあちこちから集まり大きな塊を形成する様が、小さい時から、あるいは生まれた時からパソコンを知っているデジタル・ネイティブらしいなと私には思われたのでした。

 この世代、多様性を積極的に認める、世代人口が多い(アメリカでは)、ゆえに将来の有望購買層、といった希望を感じさせる言葉でしきりに語られます。キラキラしてる! 将来を担う若者っぽい!

 これに私の意地悪い視点を加えさせていただくと、彼らは経済停滞ネイティブでもあります。この部分は日本の若者とも共通していると思います。奨学金という名の借金地獄、厳しい就職、上がらない給与・・・平均的にお金に苦労している人が多いのです。となると、社会的不平等を解消して、差別もなくして、社会福祉に財源回して・・・みんなに適度にお金が回って適度に貧乏を共有して・・・という路線でいいよ。こんな価値観なんではないでしょうか。昔の人から見たらほんのり赤い。

 人間は莫大でなくとも、いえ莫大ではない多少の財を得ると守りに入りがちです。彼らが歳を重ね勝ち組・負け組に分かれた時、同じ価値観を強く保ったままでいるなら、その時ようやく希望は現実になるのではと思います。

 差別解消にはまだまだ時間がかかるというのが現実だろうと思いますが、今回のデモで私が感じた希望は「声が上げやすい」ことでした。60年、70年前なら黒人擁護に声を上げた白人はnigger loverと呼ばれました。差別はダメだよね!というのがストレスなく口にできるのは、あの頃から見たらすごいことではないでしょうか。

 最後に冒頭の写真について。私の家からすぐの中央分離帯でソーシャルディスタンスを保ちながらプラカードを持つ人々です。こちらはむしろ年齢層高め。どの世代も頑張っています〜。


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