きっちりやらなきゃでなくてもいい

昨日、うっかりしており、
noteの更新は忘れてしまった。
こういうときいつも

「またやってしまった…」
「もうダメだ…」

と落ち込んでいた。
そしてこう思うのだ。
「何で更新できなかったのだろう」と。

息苦しくなるのは、中途半端な完璧主義

ふと考えてみると、こんなに
苦しくなるのはぼくの完璧主義から
ではないかと思った。

ぼくは小中学生のころ、図工や美術の
作品を提出したら、担当教師に作品を
非難されたことがあった。

それ以来、ぼくは提出物を完全なに仕上がるまでは提出しなくなった。

こうして完璧主義になるのであるが、
生産性が高まったわけでもなく、
提出物を提出しなかったり、期日を
守れないことが増えた。

あれ?完璧主義といいながら、中途半端すぎない?

提出物の出来にこだわる反面、
その他のことには雑になっていた。
完璧主義でありたいと思うがゆえに
自分を苦しめたあげく、中途半端な
完璧主義に終わっていたのである。

完璧主義を捨てる、ユルさを許す

これに気づいてからは完璧主義で
あることをやめた。
完璧主義はよりいいものを作りたいという
原動力にもなるので、悪いものではないと
思う。

だが、中途半端な完璧主義は
プライドが高くなり、肝心のモノが
仕上がらないと問題が多くなる。

中途半端な完璧主義を捨てて、
ユルい自分を許していこう。
ユルさの中にも新しい世界が
見えるかもしれない。

最後まで読んでいただきありがとうございます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?