成人した三日坊主が3年絵を続けた話①~そもそも編~
※注意※以下には3年間絵を描いた話が続きますが技術的な話や優れた練習法などは一切出てきません。出せるほどの技術が身についていません。
※注意※3年間というのは期間であり、毎日欠かさず絵を描いたというわけではありません。
三日坊主の歴史
今まで続いてきたことってなんだろう。
健康のために始めてみた散歩、ジョギング、ジム、昔好きだった授業から発展して始めてみようとした歴史の勉強、服飾関連の勉強、常識だけで読めない超難読漢字の勉強などなど・・・
これらは学生時代から大人になるまでさまざま試してみて何一つ続くことはなく、そのまま成人にいたるまで三日坊主の癖がついたまま突然絵を描き始めるようになった。
絵を始めたきっかけ
絵を描き始めた理由は今となっては思い出せない。ただ、当時の環境や自身の人となりから4つほど思い当たるところがある。
●SNSで周りの人が絵を描き始めていた
Twitterでフォローしている人たちが絵を始めていて自分もやってみたくなった。ただそれだけ。
●仕事が忙しく逃避行動を探していた
退職者が出たため数か月間一人で二役こなす必要があり、そのストレスをぶつける場所が欲しかった。実は絵と同時に運動も始めたが、そちらは一週間ももたなかった。
●芸術コンプレックスがあった
父は絵が描け、母は書道の有段者で絵も描ける、姉はピアノが弾ける。そんな家族の中に何も持たざる自分。学校の勉強はド田舎の親戚の中では十分にできる方だったが、高校、大学と同レベルかそれ以上ばかりの場所に進学することで自分の何もなさをより感じ、社会人になってからは実力主義で学歴など気休めにもならなかった。
ならばと歌だけでも上手くなろうとカラオケにも行きまくったが大して上手くなれず断念した過去もあった。いい経験にはなったが。
●絵を全く描けないというわけでもなかった
クラスの中で絵が上手い部類でもなく、かといって壊滅的でもない。でも自信がないから描くのが遅い。と言えばなんとなく伝わるだろうか。端的に言うとそんな感じだった。だが、
・2年生の時、「くじらのあくび」というお話の感想画が校内に掲示される
・4年生の時自分の名前を抽象的な絵にする謎の絵で市民会館に掲示される
・6年生で愛鳥週間のポスターが校内に掲示される
と、決して上手くはないが絵による成功体験は確実に得ていた。
以上をまとめると
元々芸術方面に憧れを持っており、そこに仕事の大変さが押し寄せ逃げ場を探しているタイミングで周りの人が絵を描き始めたのに乗っかったというのが現実的だろう。
そんなこんなで2018年の3月11日くらいに絵を描き始めた。
次回はなぜ続いたのかという理由を箇条書きにし、そのうえで分析してみる。
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