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猫とおじさんとお箸とごはん

アメリカ人の旦那さんを持つ日本人妻として、外から見る日本という視点は、日本人として忘れてしまいそうになる私たちの良さを再確認させてくれる。

わざわざ外国人にインタビューをして、日本の何がどれだけ素晴らしいかを語らせる(語ってもらう)、いつもながらに自分たちを下に置いた立ち位置で、誉めてもらうことで存在意義を確認するかのような自尊心の欠片もないテレビ番組が多いし、はき違えたおもてなしがあちこちに蔓延ってもいる。どうしてそうなんだろうと悲しい怒りを感じてしまうのだけれど、いやいや、ここはあえて外国人に語ってもらいましょう。

というのも、うちの旦那さんは日本がとっても好きなので永住権を取得した。「日本の何がそんなにいいの?」とある時聞いてみると、え、と思うような答えが返ってきた。

「浅草を歩いていて、とある一軒家の前を通りかかった時、(体育座りをした、ステテコ姿の)おじさんが猫にお箸でご飯をあげていたんだよね。」*注:( )内は、あとから話を聞いてそうだろうと確信した私がここで付け足した表現です。

猫とおじさんとお箸とごはん。とてつもなく美しい日本人の原風景だったに違いない。その光景をじっと見ていて、なんていい国、いい人たちがいるんだろうと思ったそう。

私もその光景を想像してみる。微笑ましい。ぽっと柔らかない光が心臓あたりに灯るような気がする。それ以来、何の気なしに、私も、身の回りに気を向けるようになった。

郵便ポストを雑巾で丁寧に拭いている人、帚で家の前を毎朝掃くしゃっしゃっという音、両手で器を包むように持ってしっくりなじむかを確かめる仕草、夏布団と冬布団があること、掃いて一ヶ所に固まっておかれる落ち葉、動物や植物、空、海を色の名前につけること。

当たり前なので、意識にものぼらないことこそが大切なものであることを思い出す。

今は、それを意識して探して、思い出して、記憶にとどめて、失くさないようにしないと、過去からずっと渡されていた光を見失ってしまうかもしれない。

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