岐阜県美術館「PARALLEL MODE:オディロン・ルドン - 光の夢、影の輝き -」感想
岐阜県美術館公式サイト展覧会案内はこちら〈PARALLEL MODE:オディロン・ルドン - 光の夢、影の輝き - | 岐阜県美術館 (gifu.lg.jp)〉
素晴らしかった。想像以上に広く、作品数が多く、2時間半かけて見たが、見足りなかった気もする。展示の仕方が良く、例えば1つの版画集を1枚の壁や1つの小部屋にまとめて展示していたのが良かった。
「日本とルドン」という、鑑賞者と芸術家を繋ぐ、普通なら最終章に持ってきそうなパートをプロローグとして冒頭に用意しており、とっつきやすさがあった。
リトグラフの《子供の顔と花》と、油彩の《花の中の少女の横顔》を見比べた。ともに少女と花をモチーフとしているため、技法を見比べるのに適している。リトグラフのときは細かな線描が、油彩のときはやや単純な線と豊かな色使いが、特徴的だ。
ルドンのリトグラフの師たるブレスダンの作品《善きサマリア人》も見たが、非常に細密な画面だった。植物のくらがりに動物が紛れ込んでいて、木々の形や影から動物が生まれたのかとさえ思った。
ルドンもくらがりに色々描きこんでいる点は同じで、リトグラフでも木炭画でもそれは見られた。
版画集『エドガー・ポーに』の各作品のタイトルは、ポーの作品からとったものではなく、ルドン自身の「視覚の詩学」の表出らしい。『聖アントワーヌの誘惑』や『悪の華』は原著から各作品のタイトルやテーマを見出しているが、一方で『夢想』『起源』におけるそれらは、『エドガー・ポーに』と同じく、ルドンの思想の現れであろう。
リトグラフは歳を経るごとに線描がこまやかに、明暗ははっきりとしていく。油彩は、初期は遠近感を気にしつつ風景をそのまま描いており、色彩も後年に比べるとさほど特別ではない。それがのちに、もはや遠近感よりも光の表現を重視して、特徴的な、発光する平面と化した。主題としてアポロンやユニコーンを描いてはいるが、それらが主役というより、光が主役だ。
光が主役だというにふさわしい作品として、《イヴ》がある。この作品は、イヴの身体に色がつけられていないようだった。代わりにイヴの周囲は色あざやかで、その光輝く色彩によって、図と地でいえば地にあたる部分がイヴの身体の形をとり、浮き上がるようにしてイヴの姿が見えたのだ。
展示品には、今まで画集やインターネット上で何度も見たものが多数あったが、実物を見ることには、実物以外を何回見ても超えられない価値がある。リトグラフにおける線描のこまやかさは最たるものだ。
沼地の地面の、かすかに白い表面や、のっぺりとした黒ではなく微細に描き込まれている背景など、写真では潰れてしまういくつもの線が、実物には生き残っている。本物はとてつもなく美しい。
油彩やパステル画も、色の重なり具合は印刷物では曖昧だ。本物を見て、油彩とパステルの表面の質感が全く異なることがようやく分かった。油彩とパステルではマチエールは全然違うのに、描き方は同じなんじゃないだろうか?
目に見えないもの、かげに隠れているもの、光に包まれているもの、永遠に留めることはできないものを、留めるために、耐久性の低いパステルを使って光の複雑な発生と重なりを描き、同じようにして油彩で長持ちする作品に変換したのだ。こまかな色が散らばっているところが、光の散乱を描出しているようで美しかった。
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