サラダを取り分けたがらない女

ある時、幼い頃からの友人たちと4人で久々に集まって、ご飯を食べていた。少なくとも友人Aは私を、「サラダを取り分けたがらない女」「どうしても割り勘にしたがる女」と認識しているようだ。これは合っているし、間違ってもいる。(※直接本人に明確に確認したことはないため、二桁年数の付き合いからの私の推測で、友人Aは男性、Bは女性として話を進めます)

その場でははじめ、友人Bがサラダを取り分けようとしてくれた。でも結局、私が「そういうのにうるさい」という共通認識が何となくあったようで、みんな好きに取ろうよということになった。後々、私が料理を取り分けようとすると、「〇〇(私の名前)は取り分けないんじゃないの」とAに言われた。

私は友人と対等なヒトでいたい。対等な女ではなくて。(ジェンダーの意味での女。自認の話ではなくて)「女だから」取り分けるのは嫌だし、「女だから」支払いに傾斜がつくのも嫌だ。

でも、料理がいっぱいで次が来たらもう置けないなと思ったら、店員さんに下げてもらうために取り分けることもある。社会的立場や収入の違いがあるとか、何かのお祝いとかで、多めに支払ってもらうこともある。(ジェンダーの違いが社会的立場や収入の違いを生み出す循環?はあるが、それはまた別の機会に)

「サラダを取り分けたがらない女」と「私」のギャップを長年の友人たちにはっきりと伝えるのは難しいし、怖い。「サラダを取り分けたがらない女」に擬態していた方が楽で、その場はやり過ごせてしまう。どうしてもこの人たちには伝えたいって思ったら、その時に考えることにしよう。


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