アセクシュアルを自認するまで(4)

(3)で書いた人とは別れることになって、その後でまたもう一人私を好きと言ってくれる人がいた。
私は誰とも結婚するつもりがないことや、セックスは苦手であることを伝えた上で、付き合うことになった。この時もまだ私は、セックスが「苦手」であることについて自分が変われるかもしれないという希望?を持っていたと思うし、相手もきっとそうだったのだと思う。

当時私は自分のことを、アセクシュアルっぽさがあるヘテロだと思っていた。それでも、LGBTの4つ以外にもいろいろあって、中にはアセクシュアルっていうのもあって、私はそれに共感する部分もあってというような話はその相手にもしていた。相手もアセクシュアル当事者やそのパートナーのブログ的なものを読んでみたりはしていたようだった。

この人は性的同意をちゃんと取ってくれる人だった。私としては「相手はどう思っているんだろう」「これでいいのかな」と不安に思う気持ちはしばしば持っていたが、セックスに関して嫌な気持ちになることはなかったと記憶している。

変われるかもしれないと思っていた背景の1つには、私がセックス(だけじゃないけど)が苦手なのは、性的に嫌なことをされた経験があるからだと思っていたからというのがある。その記憶を「乗り越え」たら、苦手ではなくなるかもしれないと。
相手にもその経験については話したことがあった。

乗り越えるというのはとても曖昧なものだけれど、フェミニズムに出会えたおかげで、今の私はいわゆる「乗り越え」た状態だと思っている。それでも、私は相変わらずセックスが「苦手」なままだなと気がついた時、私はやっぱりアセクシュアルなのかもしれないという思いが強まってきた。

この人とは最後、(もちろん真意はわからないが)結婚しないという将来を描けないことを理由に別れを告げられた。(私はアセクシュアルと自認する前から、自分のことをヘテロと思っていた時から、結婚しないことは決めていた)私は最初から結婚するつもりがないことを伝えていて、相手も最初はそれでいいと思っていたようだった。しかし、自分や周りの環境が変わる中で、結婚する/しないの両方の選択肢から二人で決めて選ぶならまだしも、私とは結婚しないの選択肢しかないことにある時からずっとモヤモヤしていたという。

そんなこんなでこの人とは別れたが、結局アセクシュアルを自分を表す言葉だと思うことができるようになったのは、それよりも後だった。

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