武士道 新渡戸稲造 17章 2bから4

2b : but  the larger and more general causes that helped to undermine knighthood and chivalry in and after the Middle Ages are as surely working for the decline of Bushido.

併(しか)し乍(なが)ら中世及び其(その)後に於て騎士と騎士道とを覆すに與(あづか)りて力ありたる、より大 且(か)つより一般的なる諸原因は、武士道の衰微に對(たい)しても確かに働きつつある。

中世紀以降、騎士とシヴアリーとを轉覆するに與りて力ありたる主因、槪因は、今 又た正に武士道の衰亡を來しつゝあるものなり。

3a : One remarkable difference between the experience of Europe and of Japan is, that whereas in Europe, when chivalry was weaned from feudalism and was adopted by the Church, it obtained a fresh lease of life, in Japan no religion was large enough to nourish it;

矢内原忠雄 訳:ヨーロッパの経験と日本の経験との間に於ける一の顕著なる差異は、ヨーロッパにありては騎士道は封建制度から乳離れしたる時、基督教會のふところとなりて新に壽命を延ばしたるに反し、日本に於ては之を養育するに足る程の大宗教がなかった事である。

櫻井鷗村 訳:歐洲と日本との經驗に於て、顯著なる差異は、即ち歐洲に在りては、シヴアリーの一旦封建制度の懷より離るゝや、基督敎の鞠育する所となりて、新生命の權利を得たるに反し、日本に在りて は、之を養ふに足るべき大宗敎なきを以て、 其生母たる封建制度の去りてより、武士道は怙恃を喪ひて孤兒となり、自立の止むを得ざるに至れり。

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