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C&ENのWorld Chemical Outlook 2022を読む

毎年恒例のChemical & Engineering News (C&EN) 1月号のWorld Chemical Outlookの2022年版のご紹介です。
(Chemical $ Engineering News, January 17, 2022, Volume 100 Issue 2)
それぞれの項目について、日本の状況とともに内容を見ていきましょう。

持続可能性
 化学産業はスコープ3の温室効果ガス計算に苦慮

2022年から、温室効果ガス削減のための「サプライチェーン排出量」の計算が企業に求められます。サプライチェーン排出量はスコープ1:燃料の燃焼、スコープ2:電気の使用、スコープ3:サプライチェーンの上流と下流での排出量に分けられます。スコープ1とスコープ2は自社内の問題であり対応は容易ですが、問題は範囲が広いスコープ3だとC&ENは指摘します。スコープ3は15のカテゴリに分かれていますが(下図の①から⑮)、上流はサプライヤーとの、下流は顧客との重なりがあり、どこまでを自社の排出量に入れるかを計算することは煩雑な仕事になるでしょう。DXによる解決が試されるところです。

環境省のウェブサイト(https://www.env.go.jp/earth/ondanka/supply_chain/gvc/supply_chain.html)より

温室効果ガス
 化学企業が炭素回収をリードする

産業から排出される二酸化炭素をゼロにするためには炭素回収が必要になりますが、化学会社は多くの炭素回収技術を有しており、ゼロ炭素に向けた準備はできているといえます。
日本では三菱重工がテキサス州の石炭火力発電所に、世界最大級のCO2回収設備を納入しました。三菱重工は石炭火力発電の二酸化炭素回収で30年の実績を持っており、プラントの納入だけでなく二酸化炭素を原料とする化学品製造、二酸化炭素運搬船の開発、二酸化炭素取引市場の整備など、新たな「二酸化炭素ビジネス」が始めようとしています。

スタートアップ
 クリーンテックがさらなる投資を呼ぶ1年

クリーンテクノロジーに取り組む企業は莫大な金額を集めており、 2022年にはさらに増えるとC&ENは分析しています。一方で過去18か月で水素関連のスタートアップは500社にのぼるということで、ゴールドラッシュのような状態なのかもしれません。
日本では東電・中電の火力発電部門であるJERAがドイツの水素スタートアップに出資しました。また水素を多孔性配位高分子(MOF)に閉じ込める技術を持つ京都大学発のスタートアップのアトミスが注目されます。

ポリマー
 カーボン・フットプリント削減がプラスチック業界の転機に

近年ほど海洋汚染に対する非難がプラスチック産業に殺到したことはありません。またプラスチックの生産には二酸化炭素の排出も伴います。2021年は3億6000万トンのプラスチックが生産され、12億トンの二酸化炭素が排出されました。しかしウッドマッケンジーのレポートはプラスチックの生産量が頭打ちになる「ピークプラスチック」シナリオを想定しています。このシナリオでは、プラスチックの生産量は2040年までに30%成長しますが、その後縮小します。二酸化炭素排出量は2035年に約15億トンで最大になり、2050年までに今日のレベルまで低下します。この前提は、プラスチック使用の大幅な削減やリサイクルの拡大です。プラスチック容器を削減するために家庭用ソーダ製造機事業を拡大するペプシコの例を紹介しています。私は「コカコーラ社はガラス瓶を残してPETボトルを廃止する」と予想します。あの瓶には高いブランド力がありますからね。

日本で最近話題のプラ包装削減の例は巾着包装をやめるシャウエッセンですね。

環境
 プラスチックと化学品が地球環境問題の議論に

国連環境計画の発足から50年

1972年に国連環境計画(UNEP)が発足してから今年で50年になります。国連環境計画は環境問題に関する総合的な調整と国際協力を推進することを目的としており、オゾン層保護のモントリオール議定書、野生動物保護のワシントン条約、廃棄物管理のバーゼル条約など多くの国際条約の交渉の舞台でもあります。今年はスウェーデンで50周年記念総会が開催されます。

プラスチック削減条約に青信号か

2月に開催される国連環境会議 (UNEA)では、環境危機をもたらしているプラスチック問題が話し合われます。海洋プラスチック対策に留まるか、プラスチック生産自体が対象になるかまだ決まっていないようですが、なんらかの形でプラスチック削減に向けた国際条約が検討されるでしょう。

樹脂添加剤に世界的規制

ベンゾトリアゾール系のUV安定剤であるUV-328の規制が間近に迫っています。UV-328は、海洋に流出したプラスチックの破片から生態系に広がります。 欧州化学機関は、UV-328を生体内蓄積性がある毒性物質として分類しました。2022年6月に予定されている会議で生産と使用を禁止するかを決定します。

国連で化学品汚染に関する科学諮問グループの設置へ

国連環境計画が化学汚染に関する科学諮問グループを結成する可能性があります。このグループは、気候変動に関する国連政府間パネルをモデルにしています。 世界中の約1,900人の研究者が化学汚染に関する政府間パネルの設立を求める請願書に署名しました。気候変動問題への取り組みが二酸化炭素の排出削減に結び付いたように、化学品の生産に対する大きな規制が生まれるかもしれません。

経済
 アメリカの化学産業は2022年もパンデミックの問題に直面

米国の化学産業は2021年に成長軌道に戻りましたが、サプライチェーンの逼迫により足を引っ張られる形となりました。2022年は物流上の障害が解消され、力強い成長が期待されていますが、高インフレの継続が米国経済における懸念材料になっています。

C&ENより

立法
 米国議会は難航

民主党と共和党が拮抗しているためバイデン政権の目玉法案の議会通過が難航していることは日本でも報道されていますが、超党派の支持を得て成立しそうな法案として「大麻規制改革」をC&ENは挙げています。日本ではあまり報道されていませんが、世界的には大麻合法化が進んでおり、日本でも厚労省の大麻検討会で議論が進められています。

立法
 国際的な研究協力へのチェックは続く

アメリカ国内の外国人研究者に対する連邦予算審査の厳格化はバイデン政権になっても継続しています。中国との対立が続く状況から、特に中国人研究者を取り巻く環境が悪化しており、スパイとして司法省から起訴される中国人研究者も増加しています。中国からの資金提供についても目を光らせており、2021年にはハーバード大学化学学部長でナノテクノロジーの権威であったチャールズ・リーバー教授が、中国の大学からの資金提供を報告しなかった罪で逮捕され、2021年12月に有罪判決が下されました。これまで世界の優れた頭脳がアメリカに集まり自由に研究が行われてきた歴史から、外国人研究者に対する過度の規制は、長期的にはアメリカの利益にならないのではないかという議論もあります。

ヨーロッパ
 化学メーカーの持続可能性が岐路に

ヨーロッパでは、12000もの化学品を新たな規制対象とする「欧州グリーンディール」が検討中です。代替品や代替技術を見つけない限り、ヨーロッパの化学品売上の12%が消失するといわれていて、化学業界は代替品の開発期間を考慮した現実的な規制スケジュールを求めています。化学産業は環境への悪影響をもたらしていますが、太陽電池や電気自動車などの持続可能な技術を支えているのも化学産業であることを忘れてはならないとC&ENは伝えています。
日本ではJETROが欧州グリーンディールの最新動向をまとめています。

アジア
 中国の化学メーカーは脱炭素下でも高収益

全国的な停電や環境規制の強化にもかかわらず、中国の化学部門は利益を上げています。中国国家統計局によると、中国の化学部門は2021年の最初の10か月で1,050億ドルの利益を上げ、2020年同期に生み出された利益の2倍以上を獲得しました。たとえば、ポリエステルを生産するホンリーグループの2020年の売上高は約800億ドルで、11月30日に中国石油化学工業連盟が発表した売上高ランキングで500のうち3位になりました。ホンリーは生分解性ポリエステルの開発にも力をいれており、中国=コモディティという図式は崩れつつあります。

化学物質の規制
 米EPAはTSCAの期限に苦慮

米国環境保護庁(EPA)は有害物質規制法(TSCA)に基づく化学物質のリスク評価を行っています。2016年の法改正で優先して評価すべき化学物質10件が選ばれましたが、トランプ政権下で進展がなく、現在も人員不足と訴訟により計画より遅れています。期限(2022年12月)の延長を求めることになるのか注目されています。
EPAのリスク優先評価対象物質
・アスベスト(CAS RN:1332-21-4)
・1-ブロモプロパン(CAS RN:106-94-5)
・テトラクロロメタン(CAS RN:56-23-5)
・ピグメントバイオレット29(PV29)(CAS RN:81-33-4)
・環状脂肪族臭化物類(HBCD)(CAS RN:25637-99-4、3194-55-6、 3194-57-8)
・1,4-ジオキサン (CAS RN:123-91-1)
・ジクロロメタン(CAS RN:75-09-2)
・N-メチルピロリドン(NMP)(CAS RN:872-50-4)
・パークロロエチレン(CAS RN:127-18-4)
・トリクロロエチレン(TCE)(CAS RN:79-01-6)

ピグメントバイオレット29

残留性汚染物質
 PFOAおよびPFOSの規制が始まる

パーフルオロ化合物は、その安定性、撥水性などから様々な化学品に使われていますが、安定すぎるが故の問題点が起きています。発がん性などの懸念からすでに米国での製造は中止されたパーフルオロオクタン酸(PFOA)とパーフルオロオクタンスルホン酸(PFOS)ですが、EPAは、飲料水中のPFOSおよびPFOA含有量の規制を計画しています。C&ENはPFOSの代替剤として開発された化合物についても言及しており、3MがPFOSの代替剤として開発したパーフルオロブタンスルホン酸(PFBS)については昨年、当局はPFOSよりも毒性が低いと発表した一方で、ケマーズ(デュポンのフッ素化学品部門が分離した会社)がPFOAの代替品として開発したフルオロエーテルGenXはPFOAより毒性が高いと指摘されました。

https://www.mdpi.com/2305-6304/8/2/42

日本においては、2021年4月に「PFOA又はその塩」が、化審法第一種特定化学物質に指定されました。日本ではダイキンが、PFOAへの取り組みをホームページ上で公開しています。

製造外注
 医薬品受託製造はさらに成長の1年

医薬品原薬・中間体の製造外注は堅調で活発な投資が続くとみられています。低分子医薬の増加は続くため、生産能力の不足が問題になるとC&ENは見ています。ベンチャー企業のビジネスモデルが、大手へのライセンスから自社での上市に変わりつつあり、そのために受託製造会社と長期契約を結ぶ場合が増えていることも理由の一つです。低分子製造への投資を継続し生産能力を拡大している企業としてはHovione、CordenPharma、およびPharmtecoがあげられています。

インフォマティクス
 化学と生物学を組み合わせたAI創薬が進む

2021年はAIの導入でいくつかブレークスルーがありました。InsilicoMedicineは2億5500万ドルのベンチャー資金を獲得し、AIを使用して特発性肺線維症を治療薬を開発しました。Exscientiaも2億2500万ドルの資金で3つの候補薬を開発しています。2022年もAI創薬が確実に進むとC&ENは見ていて、注目しているのはGoogleの創薬参入です。機械学習でプロ囲碁棋士は打ち負かしたAlphagoで有名な同社は、今度はタンパク質の立体構造を解析するAI「AlphaFold 2」を開発しました。高品質の3Dタンパク質構造を生成して医薬構造を予測することが期待されています。今度はプロの創薬化学者を凌駕するのでしょうか。

農業
 農薬不足と価格の高騰

除草剤のグリホサート(ラウンドアップ)について、ネットでは発がん性の問題や訴訟のニュースが伝えられていますが、EPAをはじめとする各国の規制当局はグリホサートに発がん性は無いことを確認しており、グルホシネート(日本ではBASFのバスタ)と並ぶ必須除草剤として農業を支えています。C&ENが伝える2022年の問題は、グリホサートとグルホシネートの不足と価格高騰です。American Agriculturistによると、原料のリンを含むサプライチェーンの問題、ルイジアナ州にあるバイエルの工場のハリケーン被害などにより、グリホサートの1ガロン単価は12.5ドルから40ドルに、グルホシネートは33ドルから80ドルに高騰しています。

https://www.farmprogress.com/herbicide/glyphosate-shortage-looms-large

このためにアメリカの農家は別の除草剤に切り替えるか、高価な肥料を減らすなどコスト抑制を図る必要があります。農薬は今も農業を支えているのです。


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