無為徒食

 1.じじいで大地はいっぱいだ
私、多々納歳男は、野呂兵を迎えるため、駅への階段をプロムナードにつながる階段の最初の一段に足をかけた。すると、数段先、階段脇の手すりつかまって降りようとしていた老人が足を滑らせ、階段に仰向けに転がった。多々納歳雄は、老人を助け重そうと駆け寄ったが、野球帽の下の髪もひげも金髪に染めていた。さらに目にしたのは耳のイアリングと手首の竜のタトゥーだった。
 多田納は、さっと手を惹き、知らん顔をしてスタスタとそこを離れた。多田納に助け起こされると期待した老人は、尻餅着いたまま、手足でバタバタと空を切っていた。
 近くを通りすがりのおばあさんがあきれた顔で老人に近寄った。
「じいさんは意地悪が多いけれど、おばあさん達は親切」
 テニス仲間の飲み会でこう言ったのは自称美脚茄子を自称する本名を一色直子という看護師だったが、まさにその通りだ。
駅ビルにつながるプロムナードは道路をまたぐ歩道橋の役割もしていた。通勤時間帯は過ぎていたが、古くから知っている政党関係者がビラを配っていた。みな、黒っぽい服を着、被っている登山帽や毛糸の帽子がいかにも年相応の服装だった。
 ビラを差し出されたが、丁寧にお辞儀にて通り過ぎた。最近読んだ世論調査結果を思い出す。ビラを配っている政党に代表される革新系の支持率は高齢者に多く、若者は保守を支持する。理由は分かる気がする。昔ながらの革新の思想を守り続けけるかれらこそ保守なのだ。多々納歳雄は、昭和中期の小学校、中学高や高校時代の日教組所属教師達の運動会や体育会での団体至上主義的な挙動を思い出した。
 多田納歳雄は駅ビルのドラッグストアに寄り、痛めた指に巻くテープを手に取り、レジを待つ列に並んだ。レジでは、頭頂部が禿げた男が、財布やカードケースの中を探っていた。自分のことは棚に上げて、多々納歳雄は、「やかん頭」の典型だと思った。
「ポイントカードが無い。どうしよう。後で持ってくる」
「後付けはできないのです」
「なんでなんだ。レシートがあれば、買ったことが証明できるだろ」
「システム的にできないのです」
「なんだ、それは。馬鹿にしている。なら、買わん。ポイントがたまるからこの店に来たのに」
 やかん頭はかごに入れた商品を置き去りにして、憤然と立ち去ったが、チェック柄のシャツを着ていた。
「私達の中での合い言葉。チェック柄のシャツには気をつけろ」
 派遣社員ならぬ派遣看護婦の「美脚茄子」(いつもスポーツタイツ姿なので素足を見たことはないが)が、コロナのワクチン接種が行われていた頃に言った言葉だ。彼女は、看護婦斡旋会社からの紹介でコロナの追加接種会場で働いていた。
 多々納歳男がレジ係から呼ばれた。
「ポイント・カードはお持ちですか」
「いや、持っていない」
「お作りしましょうか」
「結構です。せっかちなので持たない主義です。支払いは、クイック・ペイで」
 買い物を終えた多々納歳男は駅の改札前に着いた。
「さあ、行こう」
 多々納は改札口の前でぼんやり立っている野呂兵に声をかけた。多々納より七歳年上。四つ葉マーク貼付年齢には達している。のっそり、のっそり歩くのは、昔からのことで、老化のためではない。長身の野呂兵は、せっかちな多々納と違って全てがスローモーだ。長身を猫背気味にかがめ、のっそり、のっそりと歩く。早足の多々納は数歩歩いてから、振り返り、マイ・ペースの野呂兵を待った。
 プロムナードにタトゥーを入れた老人はもういなかった。救急車のサイレンも聞こえなかったから、たいしたこともなく、親切なおばあさんに助け起こされたのだろう。
 ビラ配りしていた高齢化した政党関係者達はいなくなり、代わりに犬や猫の大きな写真がおかれ、
「ワンちゃん、猫ちゃんたちを、・・・」
と、スピーカから叫び声がした。立てかけられた犬や猫の写真の下には、「と殺処分反対」の標語か書かれていた。ジーパンにTシャツの若い男が、ビラを多々納と野呂兵に手渡そうとしたが、動物愛護精神などひとかけらもない無慈悲で非人道的な二人は、そっぽを向いて通り過ぎた。多々納は小学生の頃、放し飼いにされていた犬に追いかけられた思い出があった。


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