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お笑い初期衝動

34.新時代のセンス

川田宅に着いて。
早速、筋肉少女帯『釈迦』のPVを見ることとなった。
それまで『釈迦』のPVは、どこかでチラッと見た程度で、最初から最後までちゃんと見れたことはなかった。

時は1998年。当時はYouTubeも、まだない時代。
そう手軽に、タダでPVを見れる時代ではなかった。
川田宅で見たあれは、レーザーディスクとか、なんかそういう物だっただろうか。
貧乏育ちの僕からしたら、レーザーディスクなど触ったこともなく。

『釈迦』のPVを見るのは、まるで非日常を味わうかのような感覚であった。
(童貞が、ひとのおごりで初めてキャバクラに連れていってもらう。みたいな感覚かな)

PVをじっくりと見る。。

男がなぜかチェーンソーを持って、ずっと女性を追いかけてて。途中何人かが巻き込まれる。というような映像。
はっきり言うと、無差別殺人の男をコミカルに演じてる。そんな映像です。

僕は、「うおー、これこれ!」といった具合に興奮した。

それの何がいいんだと言われたら、説明が難しいところなのだが。

僕的には、無差別殺人をリアルに演じてたら興味わかないんですね。
筋肉少女帯、大槻ケンヂさんの世界観というのは、狂人を俯瞰で見て、一周まわった感じでコミカルに演じてる。そこがミソなんですね。
これはセンスがないと、なかなかできるもんじゃないのです。

お笑いでもありますよね。
普通だったらひいてしまうような状況を、俯瞰で見たらおもろいよね?という見せ方のコント。
それって、センスの種類としては同じものなんです。

しかも当時でいうと。一つ前の世代ではできなかった新時代のセンスというもので。
これができる人は、「時代の先を行ってる」と言っても過言ではなかったのです。

当時この新時代のセンスで頭一つ抜けてたのが、僕はダウンタウンと筋肉少女帯だったと思います。

世間的には、ダウンタウンの方がだいぶ上でしょうが。
だからこそ僕的には、「筋肉少女帯は過小評価すぎる!」という気持ちだったのです。

彼らは確実に、時代が生んだ天才だったのです。



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