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お笑い初期衝動

126.再現性という技術


出来上がった瞬間はおもしろかったはずの漫才が、ネタ合わせを重ねれば重ねるほど、何かが違うように感じ。
しまいには、僕の中で、むしろつまらないネタにすら思えていった。

「う~ん、何かが違う…」と悩みながらのネタ合わせ。
僕のスッキリしない表情を見て、他の2人は「どうした?」と思ったかもしれない。「言いたいことあるならはっきり言えよ」とも思ったかもしれない。
しかし、誰の何が悪いのか、すぐにはわからず。その違和感を言葉で説明することも、なかなかできなかった。

この漫才が出来上がった瞬間も、ネタ合わせを重ねてからも、台本は全く同じなのに。なぜつまらなくなってるのか。その原因は何なのか。

ネタ合わせの中で、僕はできる限り客観視して懸命に分析した。
そして、「なるほど、そういうことかぁ」と気がついた。

つまらなくなってるその主たる原因は、実にシンプル。
それは、""だった。

ほんの少し、0.1秒とか0.2秒の違いだろう。微妙に間が狂ってる箇所がたくさん出てきてたのだ。

考えてみれば。この漫才、台本になる以前は、ただの雑談だったわけで。
雑談であるうちは、ごく自然な間だからおもしろい。
代走みつくにさんのツッコミにしても、僕と田中三球のアドリブのボケに瞬間的に反応してのものだから、ちょうどいい間になり、ちょうどいい声量、ちょうどいいトーンになってたわけだ。

しかしこれを、いざ漫才台本として練習しようとすると。
漫才の基本的な技術が足りない者がやる場合、雑談のときのようなちょうどいい間を再現できなくなるのだ。

とどのつまり、僕達は3人とも漫才の技術が足りなかったのだ。

これは、全盛期のB&Bを想像してもらうと、わかりやすいかもしれない。
島田洋七さんは、何百回、何千回と同じネタをやろうとも、毎度全く同じ間を何なく再現できる。
これが、真に漫才の技術がある人で。

僕達は、それをやれる技術に欠けていた。
しかも、欠けているという自覚も薄かったため、原因さえもすぐにはわからなかったのだ。



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