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お笑い初期衝動
96.天狗の鼻を
養成所を担当していた木佐さんを、僕は非常に信頼していた。
養成所でダメ出しをする担当社員は数人いたのだが、その中でも木佐さんのダメ出しは、僕の見方と一致することが多かった。
その木佐さんから「お前らやっぱりあかんな」と言われたのだ。
これを言われたときの僕の気持ちは、こうだった。
"よかった。適切なことを言ってくれた。"
いや、ショック受けたとかじゃないんかい!という感じですよね。
これは、どういうことかといいますと。。
実のところ。
僕達ジルはこの頃、養成所でウケたりする中で、周囲から過大評価されてたんですね。
以前、vol.59.お笑いの化学反応(お笑い初期衝動|奥山ツンヂ|note)で『化学反応が起きるときは、ダメな部分は不思議なほどバレない』なんて話をしたことがあったが。まさにそれで。
ダメな部分がバレずに、気がつけば、僕達は過大評価になっていた。
更にいうと。田中三球は正直、天狗になりかけてました。
田中三球の自己主張が、次第に強くなっていき。
彼好みのマニアックな方向にいきすぎているように僕は感じたが、天狗になりかけてる状態では、僕の意見を素直に聞き入れないことも増えてくる。
それらの僕達の状況を、養成所担当社員の木佐さんは絶妙に察知していたのではないか。
そんな気がしてならない。
現にこの頃、木佐さんが僕に「君ももっと意見言っていった方がいいんちゃうか」と口にしたこともあった。
おそらく木佐さんも、"田中三球色になり過ぎてる"と感じていたのだ。
木佐さんの「お前らやっぱりあかんな。」という言葉。
これの意味するところは、きっと、こういうことだっただろう。
"今までお前らのことおもろいように見えてたけど、ひょっとしたら俺も過大評価してしまってるかもと思ってた。今回でわかった。やっぱり過大評価してたと。お前らはまだ未熟。それなのに天狗になって、変な方向にいってしまってるのなら、ここらでその鼻を折った方がいい。"
そんな思いを凝縮した一言が「お前らやっぱりあかんな」であったように、僕には思えた。
この頃ややコンビ仲もギクシャクしていたので、僕の進言では、田中三球はムキになってしまいがちで、その鼻を折るのは難しかった。
そんなタイミングでの木佐さんの「お前らやっぱりあかんな」は、僕達が我に返り、軌道修正するきっかけとして効果的な言葉かもしれない。
そう思った僕は、適切なことを言ってくれたと感じたのだ。
説得力のある誰かに、「お前らやっぱりあかんな」をむしろ言ってほしいと、僕は心のどこかで感じていたのだ。
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