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お笑い初期衝動
64.冬の時代
当時はお笑いブームは下火で、後に“冬の時代”と言われるほどだった。
松竹芸能といえば、関西では吉本興業の次に名前が上がるような大きい事務所。のはずなのだが。。
松竹と吉本のブランド力の差は凄まじく。
松竹の事務所ライブ『サテライトライブ』の客数は、当時わずか20人程度だった。
養成所担当の木佐さんが「TKOが出てた頃はお客さんいっぱい入ったんやけどなぁ」と呟いたことがあった。
この状況を考えると、後にTKOさんが東京進出に数回失敗しても、事務所に大事にされ続けたことは、なるほど頷ける話である。
『サテライトライブ』の会場は、ワッハ上方という府の建物の7Fにあるレッスンルームだった。
それは仮設舞台まるだしの、“レッスンルーム”という名にふさわしい場で。
当日、出演者達が安っぽい仮設舞台を組み立ててライブを行っていた。
と、ここまで「冬の時代」だの「安っぽい舞台」だのと言ってきたが。それはあくまで、後になって思ったことで。
かけだしの僕にとっては、それが当たり前の環境として過ごしていた。
というか、その安っぽい舞台にすら出れず、悔しい思いをしてる若手芸人もたくさんいたわけで。
僕の目にはちっとも安っぽく映らず、むしろ憧れの舞台であり。
そこに出て爆笑をとる芸人は、とても輝いて見えていた。
その舞台に、今度僕達が出る。
冬の時代なんておかまいなしに、心はギラギラした真夏ど真ん中といった感じだった。
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