パラリンピックボランティアで感じたこと

東京2020パラリンピックでボランティアをしてきた。それも、車いすバスケットボール担当。今回のパラリンピックでめちゃめちゃに盛り上がったあの車いすバスケにちょっぴりでも携わることができたということがすごく嬉しかったので、印象に残ったことを記録しておきたい。

*****

ボランティア初日、会場の案内を受けた。ここがメイン会場、ここが選手控室、ここがウォームアップ用のコート…。あまり地図を覚えるのが得意ではないので苦戦しながらもなんとか頭に入れていく。そしてこういったイベントにおいて、おそらく最も重要な場所、トイレ。当然ながら広い会場の中には数多くのトイレがあり、そのうちいくつかの場所を覚えておくよう案内されたのだが、スタッフの方が言うことには「車いすでの使用ができるのは●●と△△で、試合会場に近いココは、車いすユーザーではない方用のトイレです」とのこと。

…???

車いすバスケットボールの試合会場で、選手がたくさん使いそうな場所のトイレが車いす用じゃないってどういうこと?

「じゃあ選手の方はどうするんですか?」と質問したのだが、車いすの方は●●と△△へ案内してくださいと繰り返されるだけ。なんともモヤっとした感情が残ったまま、その場は終わってしまった。

で、実際に試合が始まってみるとあっさり謎が解けました。

皆さん、車いすバスケットボールの選手の方々は常に車いすを使っているに違いないと思っていませんか?私は思ってました。だって車いすバスケの選手だよ?当たり前じゃんかと思っていた。が、違うんですね。
選手の中には普段は義足を使っている方もいれば時と場合に応じて杖を使っている方もいる。もちろん車いすを使っている方が多いけれど、その車いすも人それぞれ全然ちがうかたちをしている。おそらく自分の障がいとか、その時行く場所の設備とか、いろんなものを踏まえて使い分けてるんだろうなというのが、各国の選手方を見ていて伝わってきた。

なので「車いす用ではないトイレ」にも大いに需要はあって、私の勝手な憤りはまったくの筋違いなのでした。


*****

上記エピソードからもお分かりいただけたと思うが、私は車いすバスケにもパラリンピックにもまったく明るくない。ボランティアに参加する前の車いすバスケットボールに対する知識は「障害のある方が、フツウのバスケットボールと同じコート・同じボール・同じゴールの高さでバスケするらしい」くらいのもの。バスケットボール自体は大昔にやっていたことがあるのでルールはだいたいわかるのだが、なんせブランクが長すぎるのであまり知った風な口をきくこともできない。

そんな私が今回車いすバスケの選手方と身近に接する機会を得た。

試合中の姿だけ見れば彼ら彼女らは”アスリート”以外の何者でもない。鍛え上げられた上半身から放たれるシュート。もはや何が起きているのかわからないくらい華麗な車いす操作。「バスケットボール」とはまた違った「車いすバスケットボール」ならではの戦術も見どころだ。

ただ、選手たちの下半身をふと目にしたとき―一部が欠損した四肢や、おそらく先天的な病気のためにやせ細った脚を見た瞬間、ああこのひとたちは障がいを持っているんだということをまざまざと思い知らされる。今回のパラリンピックで知った人も多い(私もその一人)だろうけれど、車いすバスケットボールの選手は障がいの程度によって「持ち点」が付与されており、最も程度が重い選手の場合「腹筋・背筋の機能が無く座位バランスがとれない」とのこと。

そんな”アスリート”としての姿と”障がいを持つ人”としての姿、2つの面で選手を捉えてしまっていた私だが、数日間ボランティアをする中で、当たり前だけれど「それ以外の面」にたくさん触れることができた。

母国の家族か恋人であろう相手にスマホでビデオ通話しながら、「アリガトー」と「ドウイタシマシテ」という日本語をレクチャーしていたとある国の女子選手。

(何度も繰り返していたが、「ドウイタシマシテ」はほとんど「ドウイタマシテ」になっていた)

荷物を運んでいた私を呼び止め「……!(なんてことしてくれたんだ!みたいなことを言っている様子)」と声をかけ、びっくりして焦りまくる私を見るや否や爆笑していたとある国の男子選手たち。

(言葉はわからなかったがあれは確実に「冗談だよーん、メンゴメンゴ!」的な爆笑だったに違いない。こっちは何かやばいミスをしでかしたのかと冷や汗かいたっつーの!まあきっと彼らなりのジョークだったんでしょう…)

試合会場から選手村に帰るバスがいつ到着するのかで、スタッフの方と大モメしていたとある国の選手。

(早く帰ろうぜ、なんでバス来てないの!?と繰り返す選手に対し、あと10分で来るからちょっと待っててよ!と困り果てるスタッフさん…)

いや、本当に当たり前すぎるのだけれど、彼ら彼女らは”アスリート”でも”障がいのある人”でもなく、ただ”その人”でもあるんだなということを感じることができた数日間だった。

もちろんスポーツ選手として心身を鍛え上げてきた努力、障がいを持ちながら暮らすむずかしさを乗り越えてきた努力には心からの敬意を表する。というかほんとに敬意しかない。皆さんすごすぎると思う。が、そのことで少し距離を置いてしまうのは違うなと。

心の底からのリスペクトを持ちつつ、一方で選手方も私たちと同じ人間だということは忘れず。妙な距離間で遠ざけるのではなく、今回垣間見た選手の人間臭さを時々思い出しながら、競技中の彼ら彼女らの輝く姿を応援していきたい。


なにはともあれ、選手の皆様・たくさんのスタッフの皆様、東京2020大会お疲れさまでした。

素晴らしい試合をありがとうございました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?