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私が居場所づくりのお手伝いをする理由②

(私が居場所づくりのお手伝いをする理由①のつづき)

私にとってはすごく辛かったこの経験を、きっと誰も覚えていないと思う。
仲の悪くなってしまったその子も、一緒になって笑っていた他の友だちも、同じクラスの子も担任の先生も、きっと私がここまで悩んでいたと知る人はいない。

でも、今、私はそれを責めるつもりはない。
ある程度しょうがないとさえ思う。

年齢を重ねるごとに子どもたちの環境は大きく変わっていく。周りの人間関係も変われば、自分自身の考え方も変わる過渡期だ。

自分自身が確立していない子どもは、知らない間に傷つけ、いつの間にか傷つき、何に悩んでいるかさえ分からずに、ココロが疲弊していく。
私はまさにそんな崖っぷちにいた。

過渡期にある子どもたちはそんな目まぐるしく変わる環境下にあると思う。そして、いつココロの疲弊が限界に達するか、本人でさえ分からないという脆弱性をもっている。

私は幸いなことに「おくちゃん、そこ崖っぷちだよ!」って教えてくれる存在に出会えた。そして、そのおかげで自分自身を消し去ることなくいられた。

子どもたちにとって、もちろん家庭や学校は大きな役割を持つ。
それらの場所がいかに「居心地のいい場所であるか」は子どもたちにとって重要なことだ。
でも家庭や学校が世界のすべてになると、どうだろうか。

私は過渡期にある子どもたちに必要なのは「ここにいてもいいよ」って感じられる『第三の居場所』だと思う。家庭や学校のように毎日毎日顔を見合わせる関係じゃないけど、たまに会うくらいの距離感。上下関係なく、違う年代の子どもや大人と接することができる空間。

Kacotamが学習支援とともにしているのが、そんな居場所づくりだ。
おばあちゃんちのような、どこか懐かしい感じのする家(ゆるきち)では、学生から社会人まであらゆるスタッフが子どもたちの来るのを待っている。

「勉強したかったら一緒に勉強しよう」
「一人で集中したかったらそんなスペースもあるよ」
「みんなでわいわいしたいときもあるよね」
「相談ごともしていいんだよ」
「何もなくても・・・ここにいてもいいよ」

「ここにいてもいいよ」
こどもたちを支える魔法の言葉。一人でも多くの子どもたちがそんな居場所を見つけられるように、今、私はKacotamで活動している。


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