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私が居場所づくりのお手伝いをする理由①

中学3年生にあがったころ。
仲の良かった友だちに避けられるようになった。
原因は私が志望校を教えなかったこと。

その日から私の学校生活は大きく変わった。
一緒にお昼も食べなくなったし、
話しかけても返してくれなくなった。
楽しかった休み時間も下校時間も、早く過ぎ去ってほしくなった。

もちろん他の友だちが仲裁に入ってくれることはなく、ただ、その様子をおかしく笑っているだけだった。

ある時、「おくちゃんってメガネとるとブサイクだよね」って直接言われた。久しぶりに交わした会話だった。

たったこの一言で、私は存在を否定されたような感覚になり、学校のどこにも居場所がないように感じた。「あ、私ここにいちゃいけないんだな」って。

でも、不思議なことに当時の私に「自分、今傷ついている」って自覚はなかった。ちょうど転んで血が出ているのに「痛い」って感じないのと一緒だ。

それを私が「痛い」と自覚したのは、週1回通っていた体操教室の先生に、ちらっとその話をした時だった。
ほんと何気なく、「こんなことあったんだよ~」って話したのに、先生は瞬時にその子に対する怒りを見せた。「なんでおくちゃんがそんなことを言われないといけないの!」「そんなこと言われるのはおかしい!」

私以上に怒っている先生を見て、初めて私は「痛い」と思った。無視されることも、聞こえるように悪口を言われることも、冷ややかな目で見られることも、全部。

私、痛かったんだなって。

その後の学校生活は、正直あまり覚えていない。
学校に私の居場所はなかった。
必死に受験勉強に没頭して、いつの間にか卒業していた。
いまだにあの頃を思い出すのは辛い。

ただ、ありがたいことに「私」という存在は、学校以外の場所にちゃんと存在していた。
それは『体操教室』という学校とは別のコミュニティで「それは辛いことなんだよ、辛いって感じていいんだよ」って思わせてくれた先生という第三者がいてくれたからだと思う。

「ここにはいてもいいんだ」という安心感が当時の私を守ってくれていた。


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