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閉塞感と希望

連日の雨で外出しづらい日が続いています。
雨の日はどこか気分が落ち込みがちで、無気力になりがち。

小中学時代、台風で警報が発生し、休校になった時のことを思い出します。
一応学校が休校になった瞬間は喜ぶんですが
シャッターのせいで部屋から外界が遮断され
外に出られない状態で籠もっているのがなんだかしんどくて
どうせなら学校あれば良かったなぁと思い直すのを繰り返していました。

歴史って視点でみても、雨と人の関わりはとても大きいです。

狩猟採集社会から農耕社会に移り、食糧確保のため雨が重要に。
文化圏が違っても、世界各地で雨乞いを行う巫女の文化があったりします。
この場合、雨はめぐみで、喜ばしいものであったり。
一方で方舟伝説では、止まない雨がほぼ全ての生命を奪うものであったり。

雨に関してポジティブなイメージもネガティブなイメージもありますが
とかく、雨の有用性を感じづらい社会で生きる多くの人にとって
雨はあまり気分のいいものではないんじゃないかなと思います。
実際、現代の小説や歌に出てくる「雨」の描写は基本的に暗いイメージを与えたい時に使われていることが多い気がします。

この気持ちって何だんだろうなと。
低気圧の影響なども、もちろんあるんでしょうが
心理的な影響も大きいだろうと思い、ふと考えていたのですが
思えば、コロナ禍で緊急事態宣言が出された際も似たような状態でした。

雨も自粛期間も、どちらもそうなんですが、

実際に外出できるかどうか

っていうよりも

外出してはいけない

という閉塞感がより気分を落ち込ませたのかなと思います。

実際、緊急自体宣言が解除されたあとも
別にそんなに外出したというわけではなくて
どちらかというと閉塞感に起因するものだったのかなと思いました。

一度収まりかけた感染数が増え出し、梅雨もなかなか終わらなかったり
とにかく閉塞感を感じながら生きている気がします。

昨年度はほぼ海外に滞在していたこともあって、
今年度は卒業までにやり残したことを色々するはずだった矢先
色々予定が潰れてしまって何とも言えない気分です。
祇園祭とか京都っぽいこと大学最後にしたかった、、、

修学旅行が無くなった学校があったり、
ある大学では後期もオンライン授業が決まったり。
日々の思い出が実はすごく恵まれてたんだなとふと思います。



そんな、ちょっと暗めなことを考えることが多い中で
先日、ゲド戦記を観に行ったのですが
大賢人のハイタカが

疫病は世界を均衡にするためにある

と言っているのが凄く印象的でした。(細かい文言は忘れました)

社会がより発展するため、もっと生きやすい世の中になるため
この期間はあるべくしてあったものなんだなって
もういっそポジティブにいようと感じたり。


雨降って地固まる

ということわざがあるように、
「失われた時間」を取り戻す以上に、この後の人生を楽しんで生きたいし
当たり前の日常に感謝して生きていきたいなと
そんなことを考えていました。


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