ベートーベンとその甥カルル。
カルル(カール)・ヴァン・ベートーヴェン
楽聖ベートーベンの甥っ子(弟の子)にして養子
ベートーベンの多くの伝記では不良として描かれていることが多い
しかし、実際の彼は成績が優秀で優しい人物だったようである
ベートーベンの伝記を知る人の多くの認識としては、弟が亡くなって養子として引き取ったカールに相当にスパルタな教育をしたことで、カールは耐えきれずに自殺未遂を図るというものだろう
9歳で実父を亡くし、ベートーベンの養子となるわけだが、母親とベートーベンによる親権争いは相当に激しかったようである
ベートーベンはカルルの母親を「夜の女王」と揶揄して、母親としてふさわしくないとかなりきつく批判している
実際にはわからない
ただ、のちにカルルの母親は誰の子ともわからない子どもを産んでいる点からみても素行がよくなかった可能性は大きい
しかし、カルルにとっては愛する母親である
当時すでに作曲家として名声を得ていて尊敬する叔父と愛する母親との骨肉の争い
その間でカルルは苦しんだに違いない
養子となったカルルは学校の成績はかなり優秀であった
ベートーベンの弟子であるチェルニーからピアノの手ほどきを受けたこともあり、ピアノの腕前も音楽のセンスも相当にあったようだ
ベートーベンはとにかくカルルを束縛した
残念ながら、ベートーベンはまともな教育を受けてこなかったせいか
カルルの勉強に対して理解がなかった
カルルに良い教育を与えねばならないと言うわりには、彼の勉強よりも自分の想いを優先させることが多かったようである
カルルは勉強と叔父の要望をなんとか両立しようとがんばった
また、「有名人の子ども」としてのプレッシャーも大きかった
しかし、歪みがうまれる
カルルはピストル自殺未遂を図る
頭を二度撃ったものの一発は打ち損じ、二発目は脳には至らず
死を免れた
自殺未遂直前当時、友人に出した手紙の中にベートーベンを「老ぼれの阿呆」と書かれているものもある
これは、彼が不良だからそういう言い方をしたのではなく、そう言うほどに精神的に追い込まれていたものである
カルルは心優しく真面目すぎたのだろう
こういう人ほど、人のことを考えすぎるほどに考えてしまい、自分を壊すことがある
自殺未遂後、しばらくはベートーベンの面会を断っている
回復後は軍隊に入り、入隊後ほどなくしてベートーベンは亡くなる
軍隊の記録にはこう書かれているらしい
有能であり、しっかりした教育を受けており、気質は良好で快活、一般人に対しては挙動は上品であり、連隊では人づきが良く、部下のものと仲がよく、しかも辛抱強い
軍隊に5年しか在籍していなかったものの、その後「将校の身分」を保持することを許されたことからも相当に優秀であったことが伺える
軍隊を退いてから、家族を作りベートーベンの遺産年金で穏やかに暮らした
ベートーベンの死後、カルルが生存中に多くのベートーベンの伝記が発表された
どれもカルルを不良だと書かれていたらしい
しかし、彼はそれについて反論することもなく
静かに暮らした
カルルの子どもたちはのちに父親に対する誹謗中傷への名誉を挽回する発表をしている
ベートーベンの生涯に登場するあらゆる人物の中で、これほどまでに大きな愛と優しさを持ち、人として大きな人物がいるだろうか
ベートーベンの人生は常に悲しみが漂うし、晩年のカルルとの関係においては凄惨たるものがあるが、ベートーベンの死後、カルルが穏やかに暮らし、天寿を全うしてくれたことによって、少し温くしてくれるように感じるのである
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