手を伸ばすより手で包む方がずっと力がいるってことだ

「もし万が一行方不明になっても絶対に捜さないで下さい。ごめんなさい」

2017年6月初旬。その様な主旨のメッセージを父に送り画面を伏せ返事を待たずスマホを置いてアパートを出た。初めての沙漠旅行。場所は地球の裏側、南米チリ・アタカマ沙漠。

様々な保険会社にあたってみたが沙漠での遭難を補償してくれるところは見つからなかった。仕方なく普通の海外旅行保険に入ることにした。

もし遭難して捜索されてしまったら莫大な費用が家族に請求されてしまうのではないか。それに遭難してから外部に遭難が分かるまでにはかなりタイムラグがあることが予想される。万が一僕が見つかったとしても、その時にはもう死んでる可能性が非常に高い。父にその様なメッセージを送ったのにはそういう理由があった。

アタカマ沙漠から無事帰還し、春のモンゴル・ゴビ沙漠の旅を経て、冬のゴビ沙漠に行く直前、僕と父はイオンモールの中にあるステーキ屋にいた。量が多いことで有名なそのステーキ屋で、僕と父は同じメニューを頼んだ。

二度の沙漠旅行を経て、僕は「もう分かってくれているだろう」という気持ちで「今回も、遭難しても捜索は無しってことでお願いしまっす!」と軽い調子で父に伝えた。すると父は少し声に詰まり「…そういう訳にはいかんやんか」と言った。その時僕はようやく知った。遭難したら探されてしまう、ということを。

同じメニューを注文した父は結構な量の肉を残し、僕がそれを食べた。父が僕より食事が食べられなくなっていることを初めて目の当たりにした。歳月の中で、知らない内にとっくに父子のそれは逆転していたのだろう。

行方不明になってしまったら、父が僕を探しに沙漠まで来る。僕よりもうずっと食事が摂れなくなっている父が━━━。

ヒグチアイの「ラジオ体操」という曲にこんな一節がある。

手を伸ばすより
手で包む方が
ずっと力がいるってことだ

日本を飛び出て、命をかけて夢に手を伸ばしている自分がどこか誇らしかった。でも、でも本当は、それを受け入れて何も言わず送り出すことの方がずっと力がいることなのではないか。

昔から心配性の父だった。大人になってからも僕のことをいつも気にかけた。だけど旅だけは一度も止める素振りも見せたことが無い。それがなぜなのかずっと不思議だった。

その理由を、未だに僕は父に聞けないでいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?