昨日の電話以来 錆びつく胸が痛い
何年かくらい前から、心が乾いた時に聴く曲がある。モーモールルギャバンというバンドの「悲しみは地下鉄で」という曲である。
この曲の核となる(と僕は思っている)一節はこの部分である。
人間ってなんですか
食えるんですか
金になりますか
ここでいう「食える」とは「生活が出来るくらいお金を稼げる」という意味である。つまりこの歌詞は「人間をすることはお金になりますか?」という問いかけである。
しかしこれは本来逆である。そもそも人間は「人間をする為=生きる為」にお金を稼ぐのである。「水を飲む為に蛇口をひねる」のに「水を飲めば蛇口をひねれますか?」と聞いているのに近いと思う。にも関わらず、この倒錯した問いかけは聴く人の胸を打つ。
それはこの歌詞が、実のところ問いかけと言うよりも
「人間をするだけでは人間をすることを認めることが出来ない自分や自分を取り巻く世界への叫び」
だからだと思う。
ポジティブでありたいと思う。
陽溜まりの暖かさや幸せをよく知っている。
でも本当に心に響くのは、いつまで経ってもどうしようもなくこんな唄である。
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