上賀茂神社の御阿礼神事の3ー鎌倉時代の記録の4

④直会(御囲前)、次に神酒、御直会参る
⑤神人、又、御垂(しで)を配る、これを給て十五のしで(垂)を用意す
⑥御榊神事 原文は、垂を付ける つぎ(次)に御さかき(榊)五本まづ手をかけてめぐ(巡)らす、歌有、この時には社司は南にむ(向)く、社司のすゑ(末)にせんじのつぼね(宣旨の局)車をた(立)つる事有、きぬ(絹)を出、さぶらひぐす(侍具す)、かくのごとく五本のさかき(榊)一ペンめぐ(巡)らしてつぎ(次)のたび(度)しで(垂)をつ(付)く、一本に三づゝ也、通釈は、次に御榊五本まづ手をかけて巡らす、歌有、この時には社司は南に向く、社司の末に、宣旨の局、牛車を寄せる事有、絹屋を出て猶予、かくのごとく五本の榊一回巡らして。次の時に垂を付く、一本に三つづゝ也 言葉の説明です。「巡らす」は(御榊を)回転させること。「社司は南に向く」は御囲に背を向けること。これは、御囲に降臨する神の姿を見てはならないとされる禁忌と思われる。貴いものを見てはならぬとする民俗事例は多数ある。「宣旨の局」は勅命の趣旨を述べ伝える女官。斎院廃絶後なので、朝廷より遣わされたものであろう。「宣旨の局」の参列は注目される。また、「宣旨の局」の参列は必ずしも必要というわけではないこともわかる。「車を立つる」は牛車を置くこと。「きぬ(絹)」は、絹屋(きぬや)の略と思われる。絹屋は、絹の幕を四方と上に張った仮屋。「さぶらひぐす(侍具す)」は、神事に備えてひかえることであろう。「つぎ(次)のたび(度)」は、次の時の意か?
⑦神館跡に移動 原文は、ことは(果)てぬれば神だち(神館)のざ(座)によ(寄)る、この所はむかし(昔)はさ院(斎院)の御所あと(跡)也、いま(今)はあくのや(幄の屋)た(建)つ、このあくのや(幄の屋)のみなみ(南)に北む(向)きのよこざ(横座)有、東を上座とす、社務これに寄る、社司等次第につく、 言葉の説明です。「神館」現行の御阿礼神事における祭場の配置は、江頭務氏の『上賀茂神社御生所 御休間木の謎』(『イワクラ学会会報』24号、2012)と新木直人氏の『鴨社神館の所在』(『古代文化』43-7)によると、丸山の南麓の御囲から礎石の残る神館跡まで176m、神館跡から本宮まで541m。神館は紫野斎院に関係する施設で、御所とも呼ばれる。紫野斎院も神館と呼ばれたことがある。新木直人氏の『鴨社神館の所在』によると、上賀茂神社と下鴨神社の近くには、神館の候補地が何ヶ所かあると書かれています。「幄の屋」は、神社や朝廷の行事などの際に、庭に設ける仮屋。柱を立て、棟をわたし、屋根と周囲に幕を張る。北にある「幄の屋」に向かって神事を行う。
⑧氏人御生所より移動 原文は、みあれ(御生)より氏人あまた(数多)ひやうし(拍子)をとり歌をうたひて出、この時返歌のしき(式)有、朱書:ひじ(秘事)也、其次第しやく(笏)をたゞ(正)しくしてひそ(密)かにこゑ(声)の内二、みあれ(御生)よりうた(歌)ひて出歌をいさゝかもかは(変)らずうたふ也 朱書;これはこれはゆゝしきひじ(秘事)也、いま(今)はかかるぎ(儀)のあるとし(知)る社司も侍らず存知すべし
通釈は、御生所より氏人多数、拍子をとり歌をうたひて出、この時返歌の式有(秘事也)、その次第、笏を正しくして密かに声の内に、御生所より歌ひて出、歌をいさゝかも変らずうたふ也「これはこれはゆゝしき秘事也、今はかかる儀のあると知る社司も侍らず存知すべし」

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