乙訓坐大雷神社の論社ー向日神社に合祀された火雷神社の2

向日神社の由緒の説明の中で、「雷」に「いかづち」と「いかずち」と二つの振り仮名が付けられています。現代仮名遣いでは「いかずち」になります。ネットの語源由来辞典によると、いかずちの「いか」は「たけだけしい」「荒々しい
」「立派」などを意味する形容詞「厳し(いかし)」の語幹で、「ず(づ)」は助詞の「つ」。「ち」は「みずち(水霊)」や「おろち(大蛇)」の「ち」など、霊的な力を持つものを表す言葉で、いかずちは「厳(いか)つ霊(ち)」が語源。本来、いかずちは鬼や蛇、恐ろしい神などを表す言葉であった。雷は自然現象の中でも特に恐ろしく、神と関わりが深いと考えられていたことから、いかずちは雷を意味するようになった。とあります。
由緒の説明文の中で二つの古墳の名前が出ています。この古墳について向日市のサイトに書かれている内容を抜粋して紹介します。まず「元稲荷古墳」です。この古墳は向日神社の北側に隣接する勝山公園の中にあり、古墳時代前期初頭(3世紀末)の前方後方墳。「元稲荷」の名前は、後方部墳頂上にかつて向日神社の稲荷社があったことに由来します。全長約94メートル。墳頂には特殊器台形埴輪と大型の壺形土器が並べられていたと考えられています。墳丘全体には葺石が施されており、竪穴式石槨が設けられ、11枚の天井石で覆われており、中には割竹形木棺が納められていたほか、刀剣や槍、鋤などの副葬品が残されていたそうです。もう一つの「五塚原古墳」ですが、こちらは「元稲荷古墳」からは少し離れています。ほぼ神社の北になります。こちらは前方後円墳で元稲荷古墳と築造時期はあまり変わらないようです。神社の説明にはこの古墳と箸墓古墳(奈良県桜井市)とが似ていると書いています。これについて向日市のサイトでは、前方部はバチ形で、箸墓古墳と共通の段築構造が確認されており、最古級の前方後円墳と考えられるとあります。全長約91メートル、後円部は直径約54メートル、高さ約9メートル、前方部は長さ約41メートル、高さ約4メートルで埋葬施設は不明だそうです。この古墳が卑弥呼の墓という説がある箸墓古墳と類似していることから、向日神が邪馬台国と交流があったと書いていますが、箸墓古墳が卑弥呼の墓と確定されたわけではありませんから、そう結論づけるのはどうかと思います。ただ箸墓古墳とほぼ同じ時期の最古級の古墳が向日市にあり、そこに向日神が祀られていたというのは重要であると言えます。
なお、角宮神社でも書いていますが、乙訓の火雷神についての史料上の初見が、『続日本紀』の大宝2年(702)とありますが、これは火雷神に関する記事であり、角宮神社と限定されたわけではありません。向日神社に合祀された火雷神社の可能性もあります。
続いて宮司の六人部氏について、ネットの『式内社調査報告』の記事を次章で紹介します。

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