那智の祭り(4)ー扇神輿渡御

午後1時。扇神輿渡御祭。扇神輿12基は御本殿前に飾り立てられ、降神の儀式を行い、蛇の着物に社紋入鉢巻の扇指し(おおぎさし、扇神輿の担い手、市野々区の人が務めます)に奉供され礼殿前を出発します。子(ね)の使•前駆神職•馬扇•伶人(れいにん)•大松明•扇神輿•神職•総代•随員が瀧の祭場に向かいます。子の使は五十続松(いそつぎまつ)と呼ばれる小型の松明を持ちます。馬扇は扇神輿の先導役と思います。コロナ禍で行事が縮小された時には馬扇と神霊を納めた辛櫃(からひつ)で祭りを行ったそうです。伶人は雅楽を演奏する人。扇神輿は扇指しにより伏せられたり、立てられたりしながら待機場所の伏拝に向かいます。何しろ縦に長い神輿ですから立てた状態で移動するのはかなりハードです。
午後1時30分。伏拝(ふしおがみ)扇立神事。熊野九十九王子に伏拝王子がありますがそれとは違います。ここは本社とお瀧のほぼ中間で、昔の拝所跡だそうです。ここで扇神輿が順に立てられますが、1基立てられるたびに行列の祭員が拍手をします。アッパレ!って感じです。ここから大松明•神職は御瀧本に先行します。
午後1時30分。一、二、三の使い随時出発。御火行事を奉仕する者が伏拝に向かい「ザアザアホウ」と三声叫び、太鼓が乱打される中、カラス帽をかぶった神職より渡された松明を持ち、一の使いが出発します。しばらく間をおいて二の使い、三の使いが出発します。この声を聞き、太鼓の音を聞くと「いよいよ始まるぞ!」と心がザワつきます。「ザアザアホウ」って何でしょう。もしかしたら八咫烏の鳴き声?
午後1時57分。光ヶ峯(ひかりがみね)遥拝(ようはい)神事。カラス帽をかぶった神職が結びの松明を奉持し、光ヶ峯遥拝所に神饌を献じ、古伝の秘事を以て遥拝します。カラス帽ってユニークです。この帽子をかぶることで八咫烏になるということかな。烏の帽子で烏帽子(えぼし)。この神職がかぶるのは烏帽子ではありません、カラスの帽子です。「古伝の秘事」ってとても気になる表現です。私はこの祭りには何度か行っていますので、当然この神事も見ていますが、全く記憶にありません。ちゃんと見ておけばよかった!さて神様に食事を供え「古伝の秘事」で遥拝される光ヶ峯とはどういう場所なのでしょうか。実は足腰が丈夫であれば誰でも登ることができます。女人禁制でも禁足地でもありません。那智山の麓、市野々の北方にそびえる標高685•5mの峰で、最勝峯(さいしょうねみね)、妙法山とともに那智三峯の一つで、その第一峰とされます。室町時代応永34年(1427)の『熊野詣日記』には名前の由来について「光が峯ハ、同大師(智証大師円珍)大乗経をおさめ給けるに、瑞光をはたし給ゆへに、光が峯と申とかや」とあります。智証大師がここに大乗経を納めたところ、光を放ったのでこの名がついたとしています。それより後、戦国時代末頃の『熊野山略記』によると、頂上に池があり、その池に五部大乗経を奉納する山伏の修行の伝統があったことが記されています。今は登っても池はないそうです。また大社の伝えによると、神武天皇が沖から遠くに光輝く山を見て訪ねてきて那智の瀧を発見したともあります。
さていよいよ御火行事が始まります。

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