上賀茂神社の岩上と片山御子神社(片岡社)

 上賀茂神社の境内には「神山」と並ぶ賀茂信仰の原点とされる「岩上(がんじょう)」があります。社殿はなく注連縄で結界された岩と草があるだけですから、ほとんどの参拝者が足を止めずに通りすぎるようです。磐座祭祀の場所になります。神社が建てた説明板には次のように書かれています。 岩上(がんじょう) 賀茂祭(葵祭)には宮司この岩の上に蹲踞(そんきょ)、勅使と対面し、御祭文(ごさいもん)に対して神のご意志を伝える「返祝詞(かえしのりと)」を申す神聖な場所である。太古御祭神が天降りされた秀峰神山(こうやま)は本殿の後方約2kmの処に在り、頂きには降臨石(こうりんせき)を拝し、山麓には御阿礼所(みあれしょ)を設け厳粛な祭祀が斎行されてきた。この岩上は神山と共に賀茂信仰の原点であり、古代祭祀の形を今に伝える場所である。神と人との心の通路(かよいじ)でもあり、気の集中する場所である。とあります。
 岩上のある場所は楼門の向かいにある片岡社の近くです。そしてこの片岡社も重要な存在です。 
 片岡社(かたおかしゃ)は正式には片山御子(かたやまみこ)神社といい、通称が片岡社。祭神は別雷神の母の賀茂玉依姫命。境内に24社ある摂末社の中で第一摂社です。御子とありますが、この場合の御子は子供ではなく、巫女(みこ)を意味します。祭神の玉依姫は神が憑依する霊能力者であったことからです。御神徳は縁結び、子授け、安産。天正19年(1591)6月11日に朝廷より最も高い神階「正一位」が授けられました。
 紫式部が恋の成就を願って参拝し、歌を詠んでいます。『新古今和歌集巻第三夏歌 一九一番 紫式部 詞書 賀茂にまうでて侍りけるに人のほととぎすなかなんと申しけるあけぼの 片岡のこずえおかしく見し侍りければ ほととぎす声まつほどは片岡の もりのしずくにたちやぬれまし』。この歌の意味は、上賀茂神社に参拝したときにきっとほととぎすが鳴くだろうとあなたがおっしゃられた明け方片岡社の森の梢が美しく見える ほととぎすの声を待つ間は、片岡社の森の梢の下で朝露のしずくに濡れても、ずっと待っています。ということです。この歌のほととぎすは鳥ではなく紫式部が想いを寄せる男性です。
 「大田の小径」に書いています「神宮寺山」は「片岡山」とも言います。片岡社がこの山の西の麓にあることからですが、神宮寺山の神宮寺は嵯峨天皇の勅命で弘仁11年(820)に片岡社の南側に創建されました。この寺は1142年(永治2年、康治元年)と南北朝時代の1373年(南朝は文中2年、北朝は応永6年)の二度焼失しましたが再建されました。近世には本尊が十一面観音でした。明治元年(1868)の神仏分離で廃寺になり、現在その場所は平安時代末期の様式を取り入れた庭園、渉溪園(しょうけいえん)になっており、ならの小川から引き入れた水で曲水の宴が催されます。神宮寺は片岡社のために創建された寺ですが、神宮寺の鎮守として祀られたのが二葉稲荷神社です。 
 二葉稲荷神社の社号標には、「二葉姫(ふたばひめ)稲荷神社」と「二葉稲荷大明神」とがあります。祭神は宇迦之御魂大神。また二葉姫ともありますから、祭神は女神かもしれません。住所は上賀茂本山339。上賀茂神社の奥になります。


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