登彌神社と生駒市のニギハヤヒの墓

矢田坐久志玉比古神社から富雄川を越えて東に行った場所、奈良市石木町(いしきちょう)648ー1に登彌(とみ)神社があります。この神社では毎年2月23日に筒粥(粥占い)神事が行われます。
春日造の本殿が2棟あり、東本殿には高皇産霊神と誉田別命、西本殿には神皇産霊神、登美饒速日命、天児屋根命が祀られています。かつては木嶋(このしま)大明神や鳥見明神と呼ばれました。現在は奈良市ですがかつては生駒郡木嶋(このしま)村でした。京都の太秦にある「蚕の社」は正式には「木嶋坐天照御魂神社」と言いますが関係はなさそうです。
社伝によると、神武4年春2月23日に神武天皇がこの場所で皇祖大神(アマテラス)を祀ったことに始まり、その後、登美連が祖先のニギハヤヒの住居地(白庭山)であるこの地にニギハヤヒとミカシキヤヒメを祀って創建したということです。神武がここで皇祖神を祀ったのは、ナガスネヒコを滅ぼして4年たって戦後処理も一段落したのでニギハヤヒが住んでいたこの場所で先祖に感謝をしたということでしょう。
登彌神社は、近鉄、JR奈良駅から「奈良県総合医療センター」行きバスで終点下車徒歩10分。薬師寺の西、薬師寺と久志玉比古神社の中間にあります。
ニギハヤヒが住んだという白庭山の伝承地は矢田にもありますが、生駒市にもあります。そしてお墓もあります。
ニギハヤヒは伝承記録によると、亡くなった後に天に届けられて七日七夜の葬儀が行われたとか、妻のミカシキヤヒメがウマシマヂを産む前に亡くなり、住んでいた場所に葬られたとか伝わっています。ニギハヤヒが住んだのは白庭山で生駒市や大和郡山市、奈良市(登彌神社)などに伝承地があります。ニギハヤヒの墳墓をウィキペディアには白庭山として墳墓の写真を載せています。この項目の筆者は実際に墳墓を訪ねているようです。この場所は生駒市白庭台5丁目9ー1にあります。「白庭台」は近鉄不動産が開発した住宅地で、地名はニギハヤヒの伝承に由来します。近鉄けいはんな線に「白庭台(しらにわだい)」駅があります。墳墓の場所は生駒市小明町(こうみょちょう)にある「生駒市立総合運動公園」から山道を登って行きます。運動公園から三本の鉄塔が見えますがその下にあるそうです。運動公園のグラウンドの端にサッカーゴールがあり、その先に小径の入口があり、その道を行き、最初の分岐点を右に、さらに進むと左手に柵に囲まれた赤白の鉄塔が見え、さらに進むと再び分岐点があり、ここを右に行くとまもなく墓だそうです。案内標識はなさそうです。運動公園のグラウンドから片道15分程度で行け、比較的平坦な道だそうです。墓石には「饒速日命墳墓」と刻まれていて、風化して読めないということではなさそうですから、誰が建てたのでしょうか古くはなさそうです。墳墓の後ろには無数の小石が積まれているとのこと。この墓のある場所は「桧窪山(ひのくぼやま)」といい、日の窪山とも言うそうです。また塚の名前は「山伏塚」。修験者が関係していたのでしょうか。
先ほども書きましたが、ニギハヤヒの遺体は天に上げられたとあります。墓には遺体の代わりに、天羽羽弓、神衣(かんみそ)、帯、手貫(たまき)等の形見の品が納められたそうです。なかなか念入りな話です。
この墓の場所は生駒山の北側になります。近鉄けいはんな線は石切神社の近くの「新石切駅」から生駒山をトンネルで抜けて「生駒駅」で奈良線に接続し、ここから北に進んだ最初の駅が「白庭台」です。終点は「学研奈良登美ヶ丘」で、この路線はナガスネヒコの本拠地を横断しています。「白庭台」の西側は大阪府四條畷市。その北に交野市の磐船神社があります。ニギハヤヒの足跡が残る場所です。
ちなみに相棒のナガスネヒコの墓は葛城市竹内(たけのうち)にある鍋塚(なべつか)古墳という直径46mの円墳だそうです。 
ニギハヤヒの墳墓のある一帯にはニギハヤヒやナガスネヒコにゆかりのある場所がたくさんあります。

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