事解男命とは(3)ー阿須賀神社の祭神

阿須賀神社の祭神は、事解男命が主祭神。熊野三山の神(熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神)が配祀神、黄泉津道守命(黄泉津道守神、ヨモツミチヌノカミ)、建角身命(タケツノミノミコト)が合祀神となっています。やはり事解男命がメイン。黄泉津道守神も祀られています。『日本書紀』一書第十の熊野権現ファミリーが揃っています。菊理媛は祀られていませんが、イザナミの分身のような存在です。家津美御子大神、この本宮の祭神はスサノオと同一とされます。スサノオはイザナギが黄泉の国からの穢れを祓うことで誕生しますから、一書第十の場面ではまだ生まれていません。私はこのブログで速玉の神が中心だと書いていますが、速玉目線から言えば事解男命が重要な存在ということになります。建角身命も一書第十には登場しません。この神は境内社の八咫烏神社に祀られていたのが合祀されたそうです。「建角身命は八咫烏?」このことは神武天皇の伝承で説明します。
阿須賀神社はかつて速玉大社の境外摂社でした。それが明治になって独立して村社になります。『日本の神々 神社と聖地6』に二河良英氏が書かれている内容を引用します。ー(阿須賀神社は)現在は〈祭神名省略〉いわゆる熊野三所権現を祀っているが、これは明治初年に神格上申の際に書き改められた疑いが濃い。たとえば江戸時代の『紀伊国名所図会』、『熊野巡覧』に「飛鳥宮、早玉男命•事解男命相殿」とあり、『南紀神社録』には、「飛鳥神社 新宮村上熊野村の中に在り。配神は事解男命、後年に至り稲荷神社及び八咫烏神社を從祀す」。また『熊野山新宮旧記』には、「飛鳥神躰 第一本社 事解男命、第二社 稲荷、第三社 徐福廟、第四社 八咫烏 健角美命」と記したあと、社家の伝えとして「事解男命•早玉男命を祀るといい、土人は荒き神にて祟りありと云ふ」と述べ、「按ずるに愛徳山縁起に軍神阿須賀大明神、鰐を斬りて熊野大神を助け奉れること見えたれば、その功を賞して摂社に祀れるならん」云々と記している。ーとあります。ここに述べられているのは、現在阿須賀神社の祭神として熊野三所権現を祀っているのは、明治初めに祭神名を国に届け出た時にあらためられた疑いが濃いということで江戸時代の資料が引用されています。その中では、「早玉男命•事解男命相殿」とあり、両神が一緒に祀られていたとあります。また別の資料には祭神として事解男命だけが挙げられ、他には境内社の名前が書かれています。面白いのは『熊野山新宮旧記』で、祭神は事解男命と早玉命で、土地の人は荒い神なので祟りがあるということ。さらにこの引用文には出ていませんが、『紀伊続風土記』により詳しい記述があります。次章で紹介します。また愛徳山縁起を引用して阿須賀大明神は軍神で、鰐を退治した功績で速玉大社の摂社になっという記述ですが、これも『続風土記』にも出ています。元になる『愛徳山縁起(あいとくさんえんぎ)』ですが、『続風土記』の章で説明します。

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