伊予湯岡碑の現代語訳の補足の2

 聖徳太子一行が訪れた時の温泉は神の井とあり、また椿の実が花びらをおおって温泉の中にたれさがっているとありますから、この温泉は建物の中にあったのではなくいわゆる露天風呂であったと考えられます。白鷺伝説でも岩の間から流れ出て池のようになっている所に白鷺が飛んできてその湯にケガをした脛を浸したとなっています。神の井という表現からも温泉の湧き出ている井戸というのが想像できます。
 聖徳太子一行が訪れたのは初冬の頃ですから、椿の花が咲いていて印象的だったのでしょう。椿の実も見られたとあります。この碑文から椿は道後温泉のシンボルになっており、外湯の名前に付けられたり、ホテルの名前にもなっています。
 中国の五山(ござん)は、五岳(ごがく、五嶽)ともいわれ、道教の聖地である5つの山の総称。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北の各方位に位置する山が該当し、東岳泰山(たいざん)は山東省泰安市(たいあんし)泰山区にある1545mの山で、最高峰は玉皇頂。南嶽衡山(こうざん)は湖南省衡陽市(こうようし)南嶽区にあり、最高峰は祝融峰の1300.2m。中岳嵩山(すうざん)は河南省登封市(とうほうし)にあり、最高峰は1440mの太室山。ここには少林寺があります。西岳華山(かざん)は陝西省華陰市(かいんし)にあり、標高2154mで五岳の中では最も高い山です。北岳恒山(こうざん)は山西省渾源県(こんげんけん)にあり標高2017m。中国の神話では、万物の元となった盤古(ばんこ)という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われています。張子平はどういう人物かわかりませんが、道教の聖地である五山との関連で出ていますから、道教の修行者の道士(どうし)であったと思われます。 
 『法華経』は、「諸経の王」と呼ばれ、日本仏教の根幹を形成した経典です。羅漢(らかん)は阿羅漢(あらかん)とも言い、五百羅漢は釈迦に従った五百人の主要な弟子のことであり、また釈迦入滅後の第1回の結集(けつじゅう、仏典編集)に集まった弟子のことも言います。羅漢とは、仏教において最高の悟りを得て、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者で、この境地に達すると迷いの輪廻から脱して涅槃の境地に至るとされています。日本では五百羅漢の像が盛んに造られ、今も各地の寺院に残されています。この像の中には必ず自分の知っている顔の羅漢がいると言われています。
 魏の曹植(そうしょく、そうち)は、中国三国時代の魏の実質的な創始者の曹操(そうそう)の5男で、文帝曹丕(そうひ)の同母弟。192年~232年。現在の安徽省毫州市出身。魏の皇族であるとともに、唐の李白や杜甫以前における中国を代表する文学者として「詩聖」の評価を受けました。七歩(しちほ)の才で知られます。これは兄の曹丕から七歩歩く間に詩を作れと難題が出され、出来なければ処刑すると言われて、その難題に応えたことによるものです。その詩とは「煮豆持作羮 漉鼓以為汁 き(草冠に其)在釜下燃 豆在釜中泣 本是同根生 相煎何太急」。「豆を煮て持ちて羮(あつもの)と作(な)し 鼓(し)を漉(こ)して以て汁と為す 豆がらは釜下(ふか)に在りて燃え 豆は釜中(ふちゅう)に在りて泣く 本(もと)同根(どうこん)より生ずるに 相煎(あいい)ること何ぞ太(はなは)だ急なると」。というのがこの詩の内容です。 
 聖徳太子の同行者として恵慈と葛城臣の名前があります。この二人はどういう人物なのかをみていきます。

 

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