御生神事の起源(3)ー京都市岩倉の地名は磐座を祀る神社から

『小右記』に書いています下鴨神社の提訴は朝廷により却下されました。下鴨神社が提訴したのには、焼失したという『旧記』の存在や、この場所で葵を採取していたという理由の他にもっと重要な祭祀を行っていたということにあると思われます。それは磐座に神の降臨を迎える神事、すなわち御生神事ですが、この神事は今も秘儀として非公開で行われています。したがってその祭祀の詳細を朝廷に申告することが憚られたということが考えられます。それで結果として訴えは退けられました。
日本の神道はその根元に大自然の中に神霊を感じ、木や岩などに神の姿を見て、それらの自然物を対象に祭祀を行っていました。木の場合は御神木、岩の場合は磐座と呼ばれます。磐座祭祀の場合ですと、祭祀の対象である岩とそれを拝むための建物(拝殿)と鳥居から構成されています。祭祀の対象である自然物がいわば本殿ということですから、本殿という建物はありません。こうした神社の例として知られているのは奈良県桜井市にある大和国一宮の大神(おおみわ)神社です。大神神社は三輪山とその山中にある磐座を御神体としていますから拝殿はありますが本殿という建物はありません。それと同様に那智大社では那智大滝を御神体とする摂社の飛瀧神社にも本殿はありません。
御蔭神社が領有を主張した栗栖野郷の京都市左京区岩倉と松ヶ崎にも、古い形態を残す磐座祭祀の神社があります。岩倉という地名は巨石を御神体とする石座(いわくら)神社に由来します。石座神社は左京区岩倉上蔵町(いわくらあぐらちょう)305にあります。ただしこの神社に参拝しても磐座はありません。磐座があるのは御旅所の山住(やまずみ)神社です。天禄2年(971)に大雲寺(だいうんじ)が創建され、その鎮守社として遷されました。その後旧鎮座地は御旅所になり、山住神社の名前になりました。それで岩倉の地名の由来となった磐座が見られるのは山住神社です。山住神社の場所は左京区岩倉西河原町(いわくらにしがわらちょう)です。番地はないようです。アクセスは地下鉄国際会館か四条河原町から京都バスの岩倉実相院行きで岩倉農協前下車徒歩約3分。または叡山電車鞍馬線岩倉駅より徒歩約12分です。
実相院(じっそういん)も大雲寺もどちらも熊野信仰と関係の深い園城寺(三井寺)が本山の天台寺門宗に属していました(現在はどちらも独立した単立寺院)。共に左京区岩倉上蔵町にあります。岩倉は熊野信仰と縁があるということになります。
岩倉の南の松ヶ崎林山(まつがさきはやしやま)30にも磐座を祀る本殿のない岩上(いわかみ、いわがみ)神社があります。この神社は式内社の「末刀(まと、まとう)神社」の論社で、末刀岩上神社とも言います。下鴨神社境内の「水こしらえ場」と称する岩に末刀神が降臨し、末刀神の祭祀が境内社の愛宕社で行われています。こちらの方が本来の末刀神社であると言われています。下鴨神社でもかつて小野氏が「湧水の岩」で行っていた水の祭祀を境外摂社の御蔭神社で行っていますから、磐座と水の関係がある祭祀をしているというのは興味深いです。
岩上神社について『松ヶ崎学区』のサイトによると、『日本歴史地名大系、京都市の地名』に、「社殿を設けず、天然岩を神石とするところから、その名がつけられた。この地域には露出した岩の山肌が多く、松樹茂るところであり、古くから、清浄の地として知られるが、当社も林山を背景として、古代祭祀の磐座信仰の地であったと推定される。」とあります。口碑には「昔兵庫(現在の神戸市兵庫区)の海中に光あり。某高僧其の光を探り、此の石を得、岩神大明神と号し、此れに祀りしに始まれり」とあります。古くから漁業や狩猟、牛馬の神として信仰が篤く、参詣の人が多かったそうです。12月5日はお火焚き祭りが行われます。とあります。祭神は不詳。岩が御神体ですから、強いて言えば末刀神ということでしょう。境内に瑞垣で囲まれた岩があります。なお境内は荒れているそうです。
日本歴史地名大系は平凡社の出版。昭和54年(1979)の「長野県の地名」から20余年かけて刊行が続けられ、「京都市の地名」は第26巻。

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