本宮大社の祭神と本地仏(2)

中四社の第五殿は禅児宮(ぜんじのみや)と言い、祭神は忍穂耳命(オシヲミミノミコト)、本地仏は地蔵菩薩、僧侶または男性貴族の姿で表現されます。第六殿は聖宮(ひじりのみや)、祭神は瓊々杵命(ニニギノミコト)、本地仏は龍樹(りゅうじゅ)菩薩、僧侶の姿で表現されます。第七殿は児宮(ちごのみや)、祭神は彦穂々出見命(ヒコホホデミノミコト)、本地仏は如意輪観音、僧侶の姿で表現されます。第八殿は子守宮(こもりのみや)、祭神は鵜葦屋葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)、本地仏は聖観音(しょうかんのん)、女性の姿で表現されます。ここまでが中四社ですが、これに上四社の第四殿若宮を加えて五所王子(ごしょおうじ)と言います。よく似た名前に五体王子というのがあります。こちらは熊野九十九王子と言われる中で最も重要な五ケ所の王子を意味する言葉です。続いて下四社です。第九殿は一万十万宮(いちまじゅうまんのみや)、祭神は軻遇突智命(カグツチノミコト)、本地仏は文殊菩薩と普賢菩薩、男性の貴族の姿で表現されます。第十殿は米持金剛(よ
なもちこんごう)、祭神は埴山姫命(ハニヤマヒメノミコト)、本地仏は毘沙門天(びしゃもんてん)、僧侶の姿で表現されます。第十一殿は飛行夜叉(ひぎょうやしゃ)、祭神は彌都波能賣命(ミヅハノメノミコト)、本地仏は不動明王、夜叉形で表現されます。第十二殿は勧請十五所(かんじょうじゅうごしょ)、祭神は稚産霊命(ワクムスヒノミコト)、本地仏は釈迦如来、男性の貴族の姿で表現されます。第九殿から第十二殿を四所明神(ししょみょうじん)と言います。三所権現、五所王子、四所明神を合わせて熊野十二所権現と言います。かなり複雑ですし、神社特有の言葉が出てきますから分かりにくいです。上四社の祭神は説明しましたので、中と下四社の祭神について説明しますが、ここに記載している神名の漢字表記は本宮大社の公式サイトに従っています。どういう姿で表現されるかは、曼陀羅の中で表されている姿です。これについては別章「熊野垂迹神曼陀羅」をご覧ください。日本神話をご存知の方は、「ははーん。なるほど!」と思われるでしょうね。五所王子は神武天皇の系譜に繋がる神であり、四所明神はイザナミが火の神のカグツチを産んで火傷して、それが原因で亡くなりますが、それに関係のある神々です。まず五所王子ですが、大国主からの国譲りが終わり、日本を治めるために天照大神の子のオシヲミミが天降ることになっていましたが、そこにオシヲミミに男子が誕生し、これ幸いと危険な役目を息子に押し付けます。いつの時代にも身勝手な親はいるものです。それで息子のニニギが天降ります。アマテラスの孫の降臨ですから天孫降臨。地上に着いたニニギは美しい女性に出会って早速一夜を共にします。女性の名前はコノハナサクヤヒメ。富士山を祀る浅間(せんげん)神社の祭神です。すぐに身ごもります。あまりに早い妊娠なので、ニニギは自分の子ではないかもしれないと疑います。ヒメは産屋に火を放ち無事に子が生まれたらニニギの子に間違いないと言います。そして3人の子が生まれます。最後に生まれたのが、ヒコホホデミ。山幸彦です。こちらの名前のほうが有名です。山幸彦は兄の海幸彦から借りた釣り針を失くし、探しに海の神の宮に行き豊玉姫(トヨタマヒメ)と結婚します。出産の時に見ないでと言って産屋に入りますが、見るなと言われると見たくなるのが人情。そっと覗くとヒメはワニの姿。ヒメは子どもを残して海神の宮に帰りますが、子どもが心配になり妹の玉依姫(タマヨリヒメ)を寄越して世話をさせます。豊玉姫の産んだ子がウガヤフキアエズ。ウガヤは後に叔母の玉依姫と結婚して出来たのが神武天皇。神武天皇が祀られていないのは神ではなく人間だということになるのでしょう。四所明神は、日本書紀一書の二にカグツチは火の神、ハニヤマヒメは土の神、ミヅハノメは水の神、ワクムスヒはカグツチとハニヤマヒメとの間に出来た子で、この神の頭の上に蚕(かいこ)と桑が生じ、ヘソの中に五穀がうまれた。とあります。本地仏の中で、龍樹(りゅうじゅ)菩薩はあまり馴染みがないと思います。龍樹はサンスクリット語のナーガールジュナの漢訳で、150~250年頃に南インドに実在した人で、中国ても日本てもあらゆる宗派から「八宗の祖師」と尊敬される高僧だそうです。




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