伊可古夜日女の伝承ー丹波市市島の鴨神社の3

鴨神社境内の説明板の続きです。
○祭儀 節分祭2月 祈年祭2月  例祭(水無月祭)7月 流鏑馬神事10月 新嘗祭11月 ○神野神社•伊可古塚址の石碑 境内の東北隅の地に建立 ○丹波市指定文化財絵馬「桃園義盟圖」長澤蘆州(円山応挙の高弟で蘆雪の義子)の画を蔵。○下鴨神社(下之森大神宮 昭和23年遷宮) 厄神神社 豊受神社 金刀比羅神社 柿本神社 鴨荒魂社 稲荷神社 猿田彦神社 厳島神社の九社 平成26年4月吉日 平成22年度鴨神社氏子総代 とあり、さらにこの説明板には境内の案内図が描かれており、境内の東北隅には「神野神社•伊古可塚址」の表示があります。『氷上郡志』には伊古可塚は伊可古夜日女の墓であり、そこに日女を祀ったのが神野神社であると書かれていますから、それに基づいて石碑が建てられたのでしょう。境内社に鴨荒魂社とあるのが気になります。
この説明板は詳しく書かれていますが、式内社については書かれていません。当社は『延喜式神名帳』の丹波国氷上郡17座のうち、神野神社、伊尼神社(いちじんじゃ)、知乃神社(ちのじんじゃ)の論社となっています。3つの式内社の論社というのは珍しいです。それだけ由緒のある神社ということになります。
神野神社のもう1つの論社は、氷上町御油の神野神社です。この神社については説明しています。
伊尼神社の論社は、氷上町新郷(しんごう)1860にある伊尼神社で、祭神は番能邇邇藝命(ホノニニギノミコト)。元は奴々伎(ぬぬぎ)神社といいましたが、昭和16年(1941)に復古改称しました。第29代欽明天皇の庚申の年の創祀と伝えられ丹波地方で有名な古社です。
知乃神社の論社は、市島町南(みなみ)592にある知乃神社で、祭神は知奴王命(ちぬのおうのみこと)。白鳳13年(662)創立とも、天武天皇12年(683)敏達天皇の第ニ皇子知奴王を祀って建立とも伝えられます。ただ敏達天皇の第ニ皇子に知奴王という人はいません。敏達天皇の皇子忍坂日子人太子(おさかのひこひとのたいし)の子に智奴王(ちぬのみこ)がいます。知乃神社は鴨神社から1.7 kmに位置します。
また丹波市には加茂神社もあります。市島町の竹田(たけだ)地区には竹田六社うちのニ社として、上加茂神社(上竹田2015)、中加茂神社(中竹田116)があります。春日町(かすがちょう)には、加茂神社が多田(ただ)132と七日市(なぬかいち)458にあり、さらに池尾(いけお)41には鴨神社があります。この鴨神社は市島町梶原の鴨神社から1.1kmにあり、旧無格社。祭神は天照皇大神、鴨皇大神(かものすめおおかみ)、神大日本磐余彦です。
丹波市は平成16年(2004)11月1日に氷上郡柏原(かいばら)町、氷上町、青垣町、春日町、山南(さんなん)町、市島町が合併して誕生しました。賀茂神社が山南町金屋(かなや)195、山南町玉巻(たまき)623にあり、加茂神社が春日町牛河内(うしがわち)7、柏原町鴨野(かもの)142ー1にもあります。
市島町の鴨神社の由緒にある江戸時代の領主川勝氏(かわかつし)は、秦河勝の末裔といい、江戸時代の初めに旗本になり、丹波国内に知行3570石を領有しました。幕末には江戸幕府の重臣として活躍しました。
建角身命の妻の伊可古夜日女の伝承について書いてきましたが、この後は山城国風土記逸文に戻ります。




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