新宮の祭りー御船祭

御船祭(みふねまつり)は夫須美大神(第一殿結宮に鎮座)の祭典です。8時から祭員が神輿、神幸船、ヒトツモノなどの準備をします。大社には足利義満が寄進した神輿がありますが、祭礼では代わりの神輿が出ます。神輿は準備が終わり次第、第一殿前に置かれます。神幸船は全体が漆塗り、ヒトツモノは神馬に載せる人形で、金襴の狩衣を着て、12本の萱穂と12枚の牛王宝印を腰にさし、編み笠をかぶります。これは熊野権現の憑坐(よりまし)ということでしょう。午後からは第一殿にて祭典が執行され、宮司が神霊を神輿に移し、御旗に続いてヒトツモノが行列を先導し、熊野川の河原に出ます。覆面をした宮司が神霊を神輿から神幸船に移し、宮司ら神職と楽人が斎主船に乗ります。この2艘の船を諸手船(もろたぶね)が曳航し、これをさらに9艘の早船が先導します。諸手船の舵を取るのは熊野川河口の鵜殿(三重県紀宝町)の住人。これは石淵谷から新宮への熊野権現の遷座に際して、鵜殿の住人が船で先導したとの伝承に基づくものです。また諸手船には「ハリワイセ」と呼ばれる赤衣をまとった女装姿の男性が櫂を持って舷に立っています。
御船島の下流1kmにある「牛の鼻」という急流を過ぎたところで、早船の競漕が始まり、早船は御船島を右回りに3周して勝敗を競い、乙基(おとも)河原に着岸します。その後諸手船以下の3艘が御船島をゆっくり回り、このときハリワイセは「ハリハリヤー」と数回唱えながら、片手をかざして遠望する姿をとる「ハリハリ踊り」を演じます。この台詞は新宮節の掛け声の「ハリハリセー」の元でしょうね。次いで御船島から使者が3回招くと、9艘の早船が再び競漕を始め、今度は御船島を2周回って大社裏手の川岸に向かいます。一方神幸船と斎主船は乙基河原に上陸。神輿に遷された神霊とともに神職ら一行は御旅所へ渡御し、前夜と同様の祭儀を執行した後、やはり夜闇の中神霊を奉じて大社に戻り、神霊を第二殿におさめて祭りは終わります。夫須美神も第二殿(速玉宮)に戻るようです。前日も第二殿に還御しています。
御船島(みふねしま)。御舟島とも書きます。この記事では御船島としています。熊野川河口近くにある無人の川中島。面積約2200㎡。行政上は紀宝町。速玉大社は1kmほど下流の対岸に鎮座。島には御船明神が祀られ全体が大社の社地。世界遺産の構成資産の一部。平成23年(2011)9月の台風12号に伴う大雨で濁流に飲みこまれ、繁茂していた樹木がなぎ倒されて、この年の御船祭は中止。災害から2年後の平成25年(2013)には樹木が再生。
乙基河原(おともがわら)。大社の御旅所。熊野川河口2kmほど上流。大社の本殿の西方500mほどの場所。現地は少し高くなっており、熊野川に向かって三方が石組みされているそうです。

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