東紀州の熊野信仰(6)ー尾鷲市の飛鳥神社

尾鷲市曽根町(そねちょう)に飛鳥神社があります。祭神は三重県神社庁によると、主祭神が速玉男命、配祀神が事解男命、合祀神が誉田別命、素盞鳴尊、木花咲夜姫命です。創祀の時期は不詳ですが、社伝によると新宮の阿須賀神社の末社として創祀されたとあります。現存している寛永15年(1638)の棟札(尾鷲市最古)に「此宮仁無年歴代々校見来者七百余古宮也」とあるところから、少なくとも一千年以上の歴史があると思われます。また神社が鎮座している曽根浦からは多量の縄文土器が出土しており、古くからの祭祀場所であったと考えられます。
神社のある曽根町は現在は尾鷲市に属していますが、元は南牟婁郡南輪内(みなみわうち)村でした。近世には産土神阿須賀大明神として曽根を中心に、賀田(かた)、古江(ふるえ)、梶賀(かじか)の四郷の総鎮守として崇敬を受けています。総鎮守となったわけは、戦国時代の弘治(こうじ)年間(1555~1558、天皇は後奈良、正親町、将軍は13代足利議輝)にこの地方を荒らしていた盗賊征伐のため近江の国の佐々木左右衛門を招き、佐々木氏が曽根浦に住んで、神事や仏事を勤めたことによります。
南輪内村と北輪内村は南牟婁郡でしたが、合併にあたり北牟婁郡の中心であった尾鷲(おわし)町と合併して尾鷲(おわせ)市の一部になりました。尾鷲は地元では「おわしぇ」と発音されていたため「おわせ」の表記となったそうです。
飛鳥神社の特殊神事として「御幣とり神事」があります。これは11月15日の例大祭の宵宮行事で、新しい御幣を本殿にお納めして、中から去年奉納した古い御幣を取り出し、拝殿前に集まっている四郷の青年団の頭上に投げ、御幣取りの神事が始まります。地元では「御幣もみ」と呼ぶ人が多いそうです。この御幣を取った地区が五穀豊穣、大漁満足となると言われており、我が町に持ち帰ろうともみ合い押し合いを繰り広げます。力を合わせてもみ合うためなかなか決着がつかず、昔は朝までもみ合ったそうですが、近年では、梶賀、賀田、古江も地元の神社で例祭を執り行っているため、参加者が大変少なくなったそうです。しかしながらこの伝統行事を守ろうと少ないながらも続けているそうです。なお、同じような「御幣もみ神事」を尾鷲市三木浦町の三木神社でも行っており、氏子の船主たちが大漁祈願と航海安全を願い、もみ合い押し合いをして御幣を取り合います。
三木(みき)神社は飛鳥神社からは5kmほど離れており、祭神は大山咋命、市杵島姫命、天照皇大神。
飛鳥神社の樹叢は三重県の天然記念物に指定されており、クスノキ、スギは樹齢一千年以上と言われています。なかでもクスノキは昭和63年(1988)の調査では県内第3位の巨木だそうです。
神社は海の近く、曽根町610にあり、JR紀勢本線「賀田」駅より徒歩10分。
旧南輪内村梶賀には珍しい「ハラソ祭」があります。当社にも関わりがありますから、「ハラソ祭ー江戸時代の捕鯨を再現」で紹介します。

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