賀茂別雷大神の降臨地の3ー上賀茂村志にある神山

 寛政7年(1795)の『賀茂名所物語』では、一説として、別雷山別土山正ノ岳は同じ一つの山の名前で、「片岡山のうしろ、御生山の東にあり、俗に圓山と号す」としています。これによると、別雷山、別土山、正ノ岳は同じ山であり、場所は片岡山のうしろ、御生山の東にあり、俗に圓山(丸山)と呼ばれているということです。
 明治44年(1911)の『京都府愛宕村志』にある「上賀茂村志」の内容を下記に引用します。なお一部の漢字は現代表記にしています。
山岳 神山 所謂賀茂の神山にして本社の正北にある最も神秀なる山なり高約六十間(1間は約1.8mで、60間は約110m)周廻二里余松樹蔚然(うつぜん)たり本社の旧境内なり 本山 神山と相併び其南に連属し神山の東北に在り高約五十間(約90m
)周廻二里余松樹満山蒼翠滴らんとす本社の上地官林なしが近来更に境内に編入せられたり片岡太田山等此山と相連なれり
計志山(けしやま) 本山の東に在り高さ約五十間(約90m)周廻約十町許東南西三方は本村に属し北は岩倉村幡枝(はたえだ)に属する松山なり 名勝旧跡 神山 本山 賀茂の神山なり承和十年定められし社地にして本社の北一帯の山嶺なり其後北を神山南を本山と称す其内に御生山、二葉山、亀山、片岡等の名あり全山峰巒蜿蜒(ほうらんえんえん、山の峰が蛇のようにくねくねとうねっているような姿)起伏青松蔚々(うつうつ)林を為し翠色掬(きく)すべし明媚温秀なる名勝地なり古歌に多く詠ぜらる 片岡 片岡山 片山 本山の南に面せし小阜(しょうふ、小さな丘)にして本社の東に在り山城名勝志の注に片岡山本宮東南片岡森同前とある所なり山高かりず矮松叢生す御手洗川其麓を回りて流れ片岡社、諏訪社、岩元社其間に在り 梅原山 承和十一年社地四至の官符に北限梅原山とあり延暦二十二年桓武天皇行幸ありし所なり和歌には詠ずれど知るもの少し とあります。 
 「上賀茂村志」に書かれていることは、「山岳」では賀茂の神山は上賀茂神社の真北にある山で、本山は神山の南東、神社からすると北東にあり、片岡山や太田山と連なっているとあり、一方「名勝旧跡」では賀茂の神山は承和10年(843)に定められた社地で、その後、北を「神山」、南を「本山」と称し、神山と本山の間に御生山、二葉山、亀山、片岡等の山があるとしています。賀茂の神山は歌枕として和歌に詠まれていますが、歌枕の賀茂の神山は神山と本山の総称であるとしています。これは『大日本地名辞書』が歌枕の賀茂の神山を本山としていることと矛盾しますが、賀茂の神山を一つの山ではなく、上賀茂神社の北から東に連なる山の総称とすれば、「上賀茂村志」の記事が妥当と思われます。
 次に「村志」には神山、本山、計志山の高さを書いています。神山が約60間(約110m)、本山と計志山はそれより低い約50間(約90m)です。『大日本地名辞書』では賀茂山の高さは上賀茂神社の社地を基準にしてそこより約60m高いとしています。上賀茂神社の社地の標高は85~90mとされますから、賀茂山の高さは150mぐらい。神山は約300mありますから、賀茂の神山ではないことになります。『地名辞書』にある高さ110mや90mを標高ではなく比高、すなわちある場所の高さを基準としての高さと考えられます。それでは基準地点の標高はどれだけかというと、その参考になるのが計志山です。この山は深泥池(みどろがいけ)の北、鞍馬街道の東にある今のケシ山とされます。標高が177m。『村志』にある高さ90mを引くと基準とされた場所の標高が87m。ほぼ上賀茂神社の社地の標高になります。そうすると『村志』の「山岳」にある「神山」は約200mとなり、「神山(こうやま)」の標高300mよりは低いですから、「神山(こうやま)」とは違う別の山になります。
 「神山」は祭神が降臨した場所であり、そこでの神祭りが賀茂社の原点ですからまさに賀茂社にとっての聖地です。その山の場所が資料によって違っているということになります。大まかに言うと、現在の神山(こうやま)を含め、そこから東に連なる本山(もとやま)を含む山域が歌枕でもある賀茂の神山ということになると言えます。










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