那智の祭り(3)ー祭り前と当日扇神輿渡御式まで

「那智の扇祭り」は一日の祭りですが、中身が盛りだくさんで、その準備に時間をかけることになります。
「那智の祭り(1)」にも書いていますが、まず大松明作りが3月にスタートします。
6月30日に関係者が集まって例大祭の運営を協議する神役定があります。
7月1日より大和舞、田楽舞の練習が始まります。
7月9日には社殿を清め、那智瀧の注連縄を張り替えます。
7月11日は、扇神輿張り。那智山住人が潔斎して白衣に着替え、扇神輿を組み立てます。
那智瀧の注連縄張り替えは「御滝注連縄張替式」と言われ、例大祭前の7月9日と、迎春準備として12月27日に行われます。神事の後、白装束の神職たちは山道を登り瀧の落ち口に着くと腰に命綱を結び長さ26mの注連縄を両岸の木に結び、「紙垂(しで)」と呼ばれる白い布を付けて注連縄を引っ張り形を整えます。那智の神職さんは高所恐怖症では勤まらないでしょうね。
祭り当日の朝、午前10時から「御本社大前の儀」。熊野の神々12神に神饌を供え祈念する行事。
午前11時から大和舞(稚児舞)。これについては「那智の祭り(6)ーお瀧前の神事から還御まで」に書きます。
午前11時30分から那智田楽(でんがく)。国指定重要無形民俗文化財。那智山の青年で奉仕。11名により構成され、このほか数名の補佐役がつき、21節の田楽本曲とシテテンの舞が伝承され、曲目は江戸時代の古記録に伝えられるものとほぼ同じだそうです。
「田楽踊り」は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて京都を中心に大流行した芸能で、10名程度の僧形の踊り手が笠を被り、田楽特有の楽器であるビンザサラや腰太鼓を鳴らしつつ、人目を惹き付ける特異な隊列での総踊りや軽業的な曲芸を披露したそうです。田楽は鎌倉時代末期には熊野三山の祭礼に際して神社所属の社僧が演じる宗教的芸能として、神事の中で演じられていたということで、新宮と那智には幕末まで田楽があったとの記録があり、明治維新で田楽を伝えた社僧(衆徒)が還俗(げんぞく、僧侶が俗人に戻ること)•離散し、熊野の田楽は一時消滅しましたが、大正時代になると田楽復興の気運が生まれ、田楽を伝えた古老からの指導や神職による田楽の記録作業により、大正10年(1921)に廃絶以来50余年ぶりに那智田楽が再興されたそうです。それが演じられます。ふだんお目にかかれない古典芸能に触れるチャンスです。
午後12時15分から「御田植式」。こちらも「那智の祭り(6)」で紹介します。
そしていよいよ扇神輿渡御祭が始まります。

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