ニギハヤヒは宇宙人?

伝承ではニギハヤヒは神武と敵対したナガスネヒコに主君として仰がれましたが最後にはナガスネヒコを殺害して神武に降伏した裏切り者ということになります。真相はどうだったのか。ニギハヤヒを祀る神社にその手がかりがあるかもしれません。その前に『旧事本紀』にはニギハヤヒについてどう書かれているかみてみます。
『旧事本紀』の「天神本紀」には次のように書かれています。「饒速日尊、天つ神の御祖の詔を稟(う)け、天磐船に乗りて、河内国の河上の咆峯(たけるがみね)に天降りまし、則ち大倭国(おおやまとのくに)の鳥見(とみ)の白庭山(しらにはのやま)に遷ります。いわゆる天磐船に乗りて、大虚空(おふぞら)を翔(かけ)ゆき、この郷を巡りみて天降ります。いはゆる虚空(そら)見つ日本国(やまとのくに)というは是か。饒速日尊すなはち、長髄彦の妹御炊屋(みかしきや)姫を娶り、妃と為して妊胎(はらまし)めたまふ。いまだ産(うむ)時に及ばざるに、饒速日尊既に神殯去(かみさり)まして復天にのぼりたまはず」。
この記述によると、ニギハヤヒはナガスネヒコの妹のミカシキヤヒメと結婚しますが子供が生まれる前に亡くなったとあります。二人の間に出来たのはウマシマヂですから、伯父にあたるナガスネヒコを裏切ったのはウマシマヂということになります。さらにこの記述にはニギハヤヒが天磐船に乗って空を翔け、下界を見下ろして「虚空見つ日本国」と言ったのはこのことだとあります。ここから天磐船を宇宙船、あるいはUFO、はたまたニギハヤヒ=宇宙人説まであります。世界各地には、その文明の起源において、神と呼ばれる偉大な存在が新しい技術や文化を先住民に教えたという伝承があります。ニギハヤヒにも同じような伝承があります。何しろ死者を蘇えらせることが出来たくらいですから、宇宙人の資格は十分です。ただしそれを証明して人びとを納得させるのは至難の技です。現実的には空から見下ろしたのではなく、生駒山から見下ろしたのでしょう。夜に近鉄電車で奈良に向かうと、眼下に大阪平野の夜景が広がります。まるで飛行機から見ているような感じがします。ニギハヤヒは夜景は見なかったでしょうが、この景色を生駒山から見下ろして感動したというのが真相だと思います。そして眼下には石切神社があります。石切神社については既に書いておりますが、少し補足します。
石切神社は室町時代の戦乱で焼失したため古い記録が失われましたが、社伝によると神武2年に宮山に「上之社(かみのしゃ)」が建てられ、ニギハヤヒが祀られ、崇神天皇の代に「下之社(しものしゃ)」が建てられてウマシマデ(石切神社の表記)が祀られたとあります。現在は「下之社」に両神が祀られています。「上之社」は現社地の東、近鉄石切駅より山側へ5分ほど行った上石切町1ー10ー14にあります。境内の奥にはトミヤヒメ(ミカシキヤヒメ)を祀る登美霊社がありますが、建物が老朽化したため婦道神社(祭神オトタチバナヒメ)に祀られています。最初に祀られた宮山から慶安三年(1650)に光堂山に遷宮され、かつては宮山に「上之社」、光堂山に「中之社」、そして現在の本社の「下之社」とがありました。宮山には元宮の建物があるそうですが、ネットの記事によると道がかなり荒れているようです。現在の「上之社」は元の「中之社」にあたるということでしょうね。
石切神社の神職は代々、木積(こつみ)氏が担っています。「木積氏」の源流は「穂積氏」で、ニギハヤヒの七代目にあたる伊香色雄命(イカガシコオ)が穂積姓を初めて名乗ったとされ、物部氏との関係があります。イカガシコオについては「布都御魂の真相は?」に触れています。石切神社は「でんぼ(腫れ物)の神様」として知られでいますが、「でんぼ」は「伝法」の意味で、木積氏には代々伝わる秘法があり、それによる加持祈祷が行われ、これは木積氏のみが行うことができるそうです。おそらく「十種神宝」や「ひふみの祓詞」に由来するものだと思います。

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