南河内郡河南町のニギハヤヒを祀る神社(1)

大阪府南河内郡河南町(かなんちょう)にニギハヤヒを祀る神社が3社あります。その一つは「鴨習太(かもならふと)神社」です。この神社については「ノートブログ」に詳しく書かれている方がいますから、それを読んで頂ければと思います。私から少し付け加えますと、この神社の名前に「鴨」とありますから、鴨氏と関係があるのではという説があります。河南町の東は鴨氏の本拠地であった奈良県の葛城や御所です。またこの神社には摂社として鴨氏と関係の深い「一言主神社」がありますが、その場所が他の摂社から離れていて分かりにくいそうです。これも鴨氏との関連を暗示している気がします。
鴨習太神社の北4km程に「磐船大神社」があります。河南町平石(ひらいし)484。神社の由緒書によりますと、旧事記天孫本記によると「饒速日命十種のみたからを奉じ、天磐船に乗りて河内国河上の哮峰に天降り給う」とある。本社の創祀はこれに由来すると思われるが、その年代は明らかではない。境内には豊富な伝説をもつ天磐船、浪石、燈明石などの奇岩怪石が多く、社後にそびえる峰は古来「哮峰」と呼ばれるものである。この神社は長い間祭祀の原型ともいうべき「神奈備」の様式をとっていたようで、山全体がご神体とされている。江戸時代の末ごろ高貴寺の大徳慈雲尊者が葛城雲伝神道を創唱するに当り、本社をその根本道場にあて「樛宮(とがのみや)」と命名した。今日これが通称となっている。明治初年、神仏分離によって本社は高貴寺より分れ磐船大明神と称するに至った。本社は社域の広大なると、眺望の絶景をもって知られ、晴れた日には、河内平野のかなたに大阪、堺、岸和田、北摂の連山を一望のもとにあつめることができる。とあります。
主祭神は饒速日命。左相殿に底筒男、中筒男、表筒男の住吉三神と息長帯媛尊(神功皇后)を祀り住吉大神と称し、右相殿に応神天皇を祀る品陀別王子八幡宮、ニギハヤヒの子の可美真手命(ウマシマデ)を祀る可美真手命若宮、妻の御屋姫命瀧宮(瀧御前とも)、大山祇神(山神山主神とも)が祀られています。この内、八幡宮、若宮、山神、瀧宮は当社の南、横尾の瀧(もみじの滝)の霊神として祀られたようです。住吉の神は交野市の磐船神社に書いていますが、かつての住吉大社の社家の津守氏がニギハヤヒの末裔にあたるというところから祀られたのでしょう。なお、摂社には豊受大神、大国主命、大年神、御年神、若歳神、火之迦具土神、素戔男大神が祀られています。
この神社は由緒にもあるように巨岩が多く、また本殿の後ろの山は全体が御神体としてニギハヤヒが降臨した哮峰とされ、かつてはその頂上に本殿があったそうです。交野市私市にある磐船神社とは30kmほど南になりますが、同じような伝承がありますから、両方行ってみたら、共通点や違いが見えて面白いと思います。河南町のこの場所に磐船神社があるのはかつてはこの地域を物部氏の一族が支配していた名残でしょう。
「樛の宮」は「栂(とが)の宮」とも表記されます。
この神社の1kmほど西に「大阪府立近つ飛鳥博物館(河南町東山299、1994年開館)」があります。古代にはこの付近は、奈良の「遠つ飛鳥」に対して「近つ飛鳥」と呼ばれました。これは難波の津から見た場合、こちらの方が近いからです。神武もニギハヤヒも西から来ましたし、ここも河内国でしたから、ニギハヤヒの降臨地としても不思議はありません。
この神社へのアクセスや、神社の由緒にある高貴寺のことを次の章に書きます。





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