新宮の祭りーお燈祭り(2)

私はこの祭りを知り合いの方の家の3階から見ました。外は寒いですが、室内は暖房が効いて快適でした。この部屋は神倉山から多少離れていますが、途中に遮るものがなく、正面に上り子の持つ松明が塊になって見えています。時間になると木の柵が開いたようで塊が一斉に動きます。動き出したと思ったら、早い人はもう駆けおりてきました。私は正月にこの石段を登り降りしましたが、登りはともかく降りはこわごわでした。それを夜に松明の明かりだけで競って下ってくるわけですから、人間の潜在能力の凄さを実感します。お燈祭りに興味のある方はぜひ神倉山に行かれてこの石段を体験してみてください。祭り当日以外は誰でもオーケーです。もちろん女性も。
この祭りに参加する上り子は前章に書いていますが、厳しい潔斎があります。その期間を通じて神を意識していきます。松明には願い事を書きます。自分の願いなのか大切な人の願いなのか。そうして山に登って神と一体になります。まさにそこに神がおられるということです。
この祭りを見ようと思うと、山の麓の神倉神社の境内で待つことになります。境内は広くありません。しかも上り子はあっという間に通過していきます。西宮神社の開門福男選びのようなイベントもありません。この祭りは「見せる」あるいは「見られる」祭りではありません。「神とともにいる」祭りです。私は知人のお宅の部屋から祭りを見ていてそう思いました。
もともとこの祭りは、旧暦の正月6日に行われていたもので、古くは祭礼で分けられた火が届くまで、各家で灯明をあげることが禁じられていたことから、新年における「火の更新」を意味する行事だったそうです。
祭りの起源については、『熊野年代記』には敏達(びだつ)天皇3年(574?)正月2日条に「神倉光明放」、同4年正月6日条に「神倉火祭始」と記されています。敏達天皇3年に神倉山が光輝いたので、翌年から火祭りが始まったということです。伝承では神武天皇の大和入りに際して、高倉下命が松明をかかげて神武を熊野の地に迎えたことが始まりだとしています。それで神倉神社の祭神が高倉下命ということなのでしょうね。私の聞いた話では、ゴトビキ岩に降臨した神が山を降る様子を再現したものと聞きました。
この祭りにも阿須賀神社が登場します。神倉神社から阿須賀神社、最後に速玉大社へ。これは熊野の神の降臨と遷座を物語るものと考えられます。
上り子が途中に参拝する妙心寺(みょうしんじ)は市内千穂1ー3ー2に所在する真言宗の尼寺。天台宗の慈覚大師円仁(794ー864)により創建されたと伝えられ、かつては全国を勧進する熊野比丘尼を統括していました。本尊は神倉の神の本地仏の愛染明王。

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