湯神社の境内社ー中嶋神社

 湯神社の境内には中嶋神社があります。祭神はお菓子の神様の田道間守命(たじまもり)です。中嶋神社の本社は兵庫県豊岡市にあります。湯神社の境内社の中嶋神社は豊岡市の中嶋神社の四国分社として、四国四県の製菓業者により昭和32年(1957)に創建されました。愛媛県神社庁のサイトにもありますが、春と秋に例祭があります。
 田道間守命は垂仁天皇の勅命を受けて不老不死の霊薬を求め、中国に渡ったとされています。そして今の福建省で見つけて日本に持ち帰りますが、その時には垂仁天皇は崩御されており、田道間守命は悲しみのあまり亡くなってしまいます。田道間守命の墓は垂仁天皇陵の堀の中にある小島だとされています。垂仁天皇の御陵は奈良市尼ヶ辻にあり、今も堀には田道間守命の墓とされる小島を見ることができます。
 田道間守命が持ち帰ったのは「非時香果(ときじくのかぐのこのみ、ときじくのかくのこのみ」と言われ、ミカンの原種(橘)と言われています。
 垂仁天皇の御陵は奈良市尼辻西町(あまがつじにしまち)にある全長227mの5世紀初めの前方後円墳。考古学上の名称は「宝来山古墳(ほうらいさんこふん)」。宮内庁の陵墓名は「菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)」。近鉄橿原線尼ヶ辻駅から徒歩約5分です。
 湯神社の境内社の中嶋神社の本社の中嶋(なかしま)神社は、兵庫県豊岡市三宅(みやけ)1番地にあります。式内社で、旧県社。主祭神は田道間守命で、配祀神として天湯河棚神(あめのゆかわたなのかみ)を祀ります。田道間守命は天日槍命(あめのひぼこ)の5世の孫。垂仁天皇の命により非時香果を持ち帰ったことから、菓祖▪︎菓子の神として製菓業者の崇敬を受けています。また田道間守命は中嶋神社の鎮座地に住んで当地を開拓し、人々に養蚕を奨励したことから養蚕の神ともされています。配祀神の天湯河棚神は、中古に中嶋神社に合祀された安美(あなみ)神社の祭神で、鳥取連(ととりのむらじ)の祖神。『日本書紀』によれば、垂仁天皇の命により皇子の誉津別命(ほむつわけのみこと)のために鵠(くぐい、白鳥のこと)を捕らえた人物。
 中嶋神社は、推古天皇15年(606)に田道間守命の7世の子孫の三宅吉士が、祖神として田道間守命を祀ったことに始まると伝えられています。「中嶋」の社名は、田道間守命の墓が垂仁天皇の池の中に島のように浮かんでいることから付けられたそうです。  
 中嶋神社の分社は、湯神社の境内社の他に、福岡県太宰府市、佐賀県伊万里市、徳島市などにあります。
 中嶋神社のアクセスは、豊岡駅から全但バス奥野行き「中嶋神社」バス停下車すぐ、または神美(かみよし)経由出石(いずし)行きで「森尾口」バス停から徒歩15分。
 田道間守命が持ち帰った非時香果を日本で最初に移植したと言われる場所が和歌山県海南市にあります。名前は「橘本(きつもと)神社」。「橋本神社」ではありません。最初に移植されたと言われる場所は現在地の北にある旧鎮座地で、「六本樹の丘(ろっぽんぎのおか)」です。祭神は、田道間守命と熊野坐大神。神社の創建年は不詳。明治初年には、橘の老木と小祠があるだけになっていましたが、里人の尽力により再興し、明治40年(1907)に熊野九十九王子の一つの所坂(ところさか)王子の跡地(現在地)に社殿を造営して遷座し、所坂王子と近隣の塔下(とうげ)王子と橘本王子を合祀しました。橘本神社の場所は和歌山県海南市下津町橘本779。


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