賀茂別雷大神の降臨地の4ー神山に関する資料の説明

 まず『大日本地名辞書(だいにほんちめいじしょ)』から。この本は明治33年(1900)3月に第1冊上が出版された地名辞書。日本初の全国的な地名辞書として、在野の歴史家吉田東伍個人によって13年をかけて編纂されました。序言に「本書は地誌にして、其名辞の索引に便利なる体裁を取りたり、即、地名辞書といふ」とある通り、地名についての語源、変遷だけでなく、地形や歴史などあらゆる風土的事象を扱い、寺社や河川、橋、旧跡等についても項目が立てられ、膨大な古典籍を引用しながらも厳しく史料批判を加え、しばしば独自の新説を加えています。冨山房より文語体、旧仮名遣いのまま版を重ねています。吉田東伍(よしだとうご、1864~1918)は新潟県生まれ、吉田は養家の姓。日本歴史地理学会の創設者の一人。出生地の新潟県阿賀野市保田1725-1に「吉田東伍記念博物館」があります。平成9年(1997)9月14日開館。初代名誉館長は谷川健一氏。
 『日本輿地通志畿内部(にほんよちつうしきないぶ)』は略称で『五畿内志(ごきないし)』と呼ばれます。江戸時代の享保年間(1716~1736)に編纂された畿内五か国の地誌。『河内志』、『和泉志』、『摂津志』、『山城志』、『大和志』を指します。江戸幕府による最初の幕撰地誌とみなされ近世の地誌編纂事業に多くの影響を与えました。当初は関祖衡(せきそこう、越前国出身、生まれた年は不明で享保年間に亡くなっています)、並河誠所(なみかわせいしょ、1668~1738)が企画し、関が亡くなった後、並河を中心に編纂されました。編纂に当たって、日本全国の地誌を網羅することが念頭に置かれましたが、実現したのが畿内部のみでしたから、『五畿内志』の略称で呼ばれます。編纂は享保14年(1729)から5年をかけて行われ、享保20年から21年にかけて大坂、京、江戸で出版されました。漢文で記された全61巻。中国明の地誌『大明一統志』にならい、各国志の最初には山岳、重要交通路、河川および郡名を記した絵図を示し、ついで建置沿革、範囲、道路、景勝、風俗、祥異、郡ごとには郷、村里、山川、物産、寺社古跡、陵墓、氏族といった項目を記載します。編纂に際して並河らは自ら現地を訪れて古文書、古記録、伝承などを採録し、それらの史資料をもとに記述を進めました。各項目の記述は詳細、精密であり、後世の五畿内の地誌、名所図会に盛んに引用され、当時の五畿内の事情を伝える資料として今日でも高く評価されています。昭和53年(1978)に現代思潮社から上中下の3巻で『覆刻日本古典全集』の中に収められています。
 「京銀ふれあいの森」は2012(平成24)年4月、京都銀行創立70周年の記念事業の一環として京都府•京都モデルフォレスト協会と「森林の利用保全に関する協定」を締結し、これをもとに京都市北区上賀茂にある本山国有林の一部を「京銀ふれあいの森」として、上記2団体に加え、林野庁、京都産業大学、京都大学と連携し、産•官•学で森林の保全•育成に取り組んでいるということです。

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