座田氏の『御阿礼神事』ー当日の祭儀1

 御阿礼神事は5月12日に行われます。当日の祭儀については、当ブログ「御阿礼神事の2-座田氏の論文『御阿礼神事』」にも書いていますが、ここでもう一度当日の祭儀についてご紹介します。前述のブログも参照して頂ければと思います。非公開の祭儀がどのように行われるかがよく分かると思います。  
 まず当日(5月12日、この日の日中には下鴨神社で御蔭祭があります)の午後八時に上賀茂神社社務所大玄関前から「宮司以下祭員、矢刀禰、神人、雅楽役、別当代その他の諸員」らが御生所に参向することから始まります。
 御生所に着くと、神籬の前に並び、お祓いを受けます。そして祭員(宮司を含む五員)は横座に座り、矢刀禰五輩は神籬前、立砂の西側に控えます。雅楽役や別当代やその他の人は座が決まっていませんがそれぞれ座に着きます。宮司以下祭員は神籬に向かって拝礼(一拝)します。次いで祭員五員に公幣私幣ニ棒ずつを渡します。この時公幣を上、私幣を下に重ねます。その後祭員五員は神籬に向かって奉幣行事を行います。(ニ拝、祈念、ニ拝)。奉幣行事が終わると幣を後取りに渡します。その後祭員五員に葵桂を配り各員これを烏帽子の左穴に挿します。そして祭員五員は献の儀(三献を通す)を行い、掴みの御料(つかみのごりょう)に進みます。この掴みの御料とは、座田氏によると「熟飯に干物のトビウオを焼いてその肉を細かくほぐし、それにワカメを炙って粉にしたものを交ぜ合わせて作ったもの」だそうです。カルシウムとミネラルが豊富そうです。これを掴み取って食べることから、掴みの御料というそうです。神人共宴の儀式である直会は一般的には祭祀の後であるのに対し、祭儀の前に行うこの直会について、座田氏は「柳田國男氏の説かれる所の、氏神祭に用いられる食い別れと同じような意味合いのものではなかろうか」と述べられており、御阿礼神事が原始的な祖霊信仰の特長を微かに残している可能性に言及しています。
 掴みの御料を済ませると、祭員五員は座を立って手水の儀を行い、終わると元の座に戻ります。そしていよいよ「遷霊」の儀式に取り掛かります。座に戻ると祭員に割幣(さきへい、紙垂)十五枚ずつが配られます。この時に黙奏で「迎へ給ふ迎へ給ふ」と唱えます。そして灯りが消されます。矢刀禰五輩が順次御榊を宮司の前に持ってきます。宮司が御榊に手をかけ、それが終わると矢刀禰五輩は順次祭員四員の前に御榊を持って行きます。祭員四員は宮司と同じ動作をします。この時祭員五員は黙奏で「跡たれし神にあふ日のなかりせば何にたのみをかけて過ぎまし」と唱えます。矢刀禰五輩は再び御榊を宮司の前に持ってきます。宮司は御榊の枝の三箇所に割幣を結び懸けます。以下祭員四員も同様に割幣を三箇所に結び懸けます。この時に宮司以下祭員五員が「迎へ給ふ迎へ給ふ」と黙奏します。割幣を懸けた御榊を手にした矢刀禰五輩は神籬の正面に回り御榊を神籬の正面に立て、ニ基の立砂の外辺を左回りに三周します(立砂三匝)。座田氏は、神職によって秘歌を黙奏することを「呪文」と表現し、呪文、阿礼の御榊に四手を付すこと、立砂を三巡する遷霊行事は重複の嫌いがあるとしながらも、実際には三巡することが遷霊の主体であろうと述べています。神山を模した立砂を三巡することは、その行為が神体山から神霊を招き奉るごとに繋がるとする信仰に由来するからであろうと思われます。


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