2024/06/10「カレーを口実にランチに誘えない私はチキンカレー」

チキンカレーが食べたい。

ここしばらく日常的なコミュニケーションがうまく行っていない。仕事先で顧客と喋るのは比較的問題ないのだが、それ以外の会話がうまくいかない。なんとなく噛み合わない感覚が常態化しているというか、それが自分だけではなく相手も思っているんだろうなというか。はてどうしようかと悩みあぐねいた挙句、どんな形であれアウトプットする機会を作っていないこと、これが一因なのではないかと思い、では止めていたnoteを更新しようかと、今回久しぶりにアプリを開いた限りである。

さてさて、前回のnoteから沢山のことがあった。
ありがたいことに(?)本を読む機会が増えた!ただ、インプットの回数は増えたものの上手くアウトプットできてない感覚がある...。


最近読んでよかったもの、100de名著の「金閣寺」である。少し前から三島由紀夫の東大全共闘をちょこちょこ観ているのだが、会話を理解するのに時間がかかってしまい、一歩進んで二歩下がることを繰り返している。ビデオテープだったら大変だったかもしれない。
そんな中で出てきた認識と行動というワードがとてつもなく今の自分に必要なのに絶対的にに足りていない気がして、今ちゃんと理解をしないといけないそんな知らせがして、本屋に並んでいた本書を手に取った。
理想(ニュアンスが異なるかもしれない)と現実との乖離、その高低差に耳がキンとなりながら、私はどうしても主人公である溝口に、己を重ねてしまった。吃音持ちで、理想に生きつつも現実に上手く順応できない、でも人一倍現実に思い焦がれている(私の所感だが)そんな主人公の中に自分を見てしまったのである。



あと別件で、先日立ち読みした文芸誌(名前を失念した...)に載っていた、とある方の一文が忘れられない。

「ひとつの領域を仮固定することは、それを足がかりにしてより遠くへ旅していくことを可能にする」
この言葉に触発されたのも、note再開の一助となった。

唐突な欲望を叫ぼう。(欲望とは唐突なものなのかもしれたいが)
あぁ、伊勢神宮行きたい!
お土産でもらったお茶も美味しかったし、おかわりという名のストックを買いに行きたい。なんか神聖な場所で売ってるお饅頭とか美味しそうだし、あわせてのほーんとお茶したい。飛んでる鳥とか見ながら「自由っていいな〜」と呟きたい。関係ないけど、前に見た永野さんのネタでカモメか何かを前に「自由は撃てんばい」って言ってたセリフが好きすぎて忘れられない。伊勢神宮、行っちゃおうか〜!

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