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近所で凄惨な事件があって、それから色を描き始めた

タイトル:20190718-2
画用紙にオイルパステル
2019年12月29日作

京都アニメーション第1スタジオ放火殺人事件に接した直後から、紙に色を塗るようになりました。

このタイトルは、事件が起きた日付と、第2作目という意味です。

追悼、悲しみ、哀悼――そんなタイトルも考えましたが、自分の身に起きていることを枠にはめられないと感じ、日付だけにしました。

事件現場の近所に住んでいます。関係者ではありません。作品のファンでした。

事件の発生は午前中。たまたま休みを取っていました。ヘリコプターの音が止まず、何かがあったと思いネットニュースを見て事件を知りました。沈痛な思いにとらわれました。

所用で午後6時頃に外出すると、プラスチックの焦げたようなにおいがしました。近所といっても、目と鼻の先ではありません。数百メートル離れています。雨も降っていました。それでもにおいは、まるで霧のように、辺りに漂っていました。

においは、夕闇に混じり、汗ばんだ肌にべっとりとまとわりつく感じがしました。その時私は、そのにおいを、犠牲になった方々の魂のように感じていました。そして、どうか私と一緒にいてくださいと、心の中でつぶやきました。

この絵を描いている途中に、事件当日のそのことがフラッシュバックし、涙があふれました。涙で絵が濡れないようにしました。

花のように見えるかもしれません。私も描きながらそう思いましたが、花にしようと思ったわけではありません。

事件直後から、こんなふうに色を描くようになりました。直後、初めて描いたものは、黒をたくさん使う、墨絵のような色です(まだ完成していません)。そういうものを描くのは今は、自分のためだけ、ということにしています。

この絵は、自分の内の黒々とした感覚と、事件とは関係なく、見てくださる方の「癒え」――うつむき加減の面がたとえちょっとでも上向く――こととが、折り合っていくようにと思いながら描き進めました。

事件から5か月たちました。

内面の黒々とした感覚は、もう決して消えません。それはもう、私の一部であり、私自身です。それを拒否せず、そういう自分であることを受け入れ、そのままの自分がだれかに届く、そんなクリエーターになりたいです。というよりたぶん、そんなふうな表現しか自分にはできないと思う。

社会人初心者が、実技も座学も基礎から系統的に学べる、雅楽伝習所を宇治に創りたいです。