『生成AIとエピステモロジー』執筆日記:研究書を生成AIをアシスタントに書いてみる(3)

さて前回で序論ができあがった。ここに書いておく。


序章 ドラフト1 2024/04/29

  科学技術の進歩は、人間の知のあり方に絶えざる変革を迫ってきた。だが、その変革の波は、時として予期せぬ暗礁に乗り上げる。20世紀、原子物理学の発展は、人類に計り知れない恩恵をもたらした一方で、広島と長崎の惨禍という形で、科学者の手を血に染めた。量子力学の確立を担ったアインシュタインとオッペンハイマーは、原爆開発に直接・間接に関与することで、科学と倫理の深淵な相克を体現する存在となった。この点については、『アインシュタイン・オッペンハイマー・フェルミ』(鈴木力衛)が詳しく論じている。
  そして今、私たちは再びその相克の淵に立たされている。大規模言語モデルに基づく生成AIの登場は、知識生産と探求の営為そのものを根底から揺るがしつつある。機械が人間と見紛うばかりの知的振る舞いを見せるとき、私たちは改めて問わねばならない。知とは何か、真理や合理性とは何なのかを。だがそれと同時に、こうした技術がもたらす倫理的な課題についても、真摯に向き合わねばならない。この点に関しては、『AI倫理』(松尾豊)が参考になる。
   近代以降の科学は、自然を数学的に記述し、論理的に分析することで、世界を解明し、制御することを目指してきた。ニュートン力学に基づくこの「ニュートン的エピステーメ」は、自然科学のみならず、社会科学や人文学をも含む広範な知の体系の基礎を形作ってきた。『科学革命の構造』(トーマス・クーン)は、このパラダイムの成立と変革のプロセスを詳細に分析している。だが量子力学の登場は、この決定論的世界観を根本から揺るがした。ハイゼンベルクの不確定性原理に象徴されるように、ミクロの世界では因果律が成り立たず、確率の支配するランダムな現象が見られるのだ。この量子力学の哲学的含意については、『物理学と哲学』(ヴェルナー・ハイゼンベルク)が示唆に富む。
   この量子力学の衝撃は、単に物理学の世界にとどまらない。それは、私たちの知のあり方そのものに対する挑戦でもあった。確率的にしか記述できない現象を、私たちはどう理解すればよいのか。因果律という基盤を失った知識を、どう体系化すればよいのか。量子力学は、こうした根源的な問いを私たちに突きつけたのだ。そしてこの問いは、原爆開発という悲劇的な帰結と結びつくことで、さらに深刻な意味を帯びることになる。
 原爆投下の決定に関与したオッペンハイマーは、後に「私たちは罪を犯した」と述懐したと伝えられる。科学の価値中立性を標榜し、兵器開発に身を投じた科学者たちは、ヒロシマ、ナガサキの惨状を目の当たりにして、自らの知的営為が招いた結果に愕然とせざるを得なかった。カントの定言命法に則って普遍的な道徳律を探求したとしても、彼らの科学的良心は瑕疵を免れ得なかったのだ。この点については、『科学者の社会的責任』(ジェローム・ラヴェッツ)が詳しい。
   この原爆開発の経験は、科学と倫理の関係を根本から問い直すものであった。そしてそれは同時に、知のあり方そのものを問い直すことでもあった。知識がどれほど厳密で体系的であっても、それが現実の世界で破壊的な結果をもたらすなら、私たちはその知を全面的に肯定することはできない。科学は、単に自然を解明し、制御するだけでなく、その営為が社会や人間にどのような影響を及ぼすかを、つねに自覚していなければならないのだ。この点に関しては、『科学・技術の発展と社会的責任』(小林傳司)が示唆的である。
   その意味で量子力学は、ニュートン力学に基づく近代科学の世界観を揺るがしただけでなく、科学と倫理の関係を問い直す契機ともなった。確率的にしか記述できない現象に向き合うとき、科学者は自らの知的営為の不確かさと、その帰結の予測不可能性を自覚せざるを得ない。原爆開発に加担した物理学者たちの経験は、そうした自覚の必要性を私たちに突きつけているのだ。
   しかし皮肉なことに、量子力学がもたらしたこの不確実性の認識は、情報科学や人工知能の発展を促す原動力ともなった。確率的な情報処理は、シャノンの情報理論やノイマンのゲーム理論の基礎をなし、現代の計算科学を支える柱の一つとなっている。『通信の数学的理論』(クロード・シャノン)と『ゲーム理論と経済行動』(ジョン・フォン・ノイマン)は、その礎石となる著作だ。そして、その延長線上に、生成AIの飛躍的な進化が位置づけられる。
   大規模言語モデルに基づく生成AIは、膨大なテキストデータから統計的な規則性を学習し、人間と見紛うばかりの文章を生成する。だがその生成プロセスは、ブラックボックス化されており、私たちはその内部で何が起きているのかを知ることができない。AIがどのような判断基準で文章を生成しているのか、そこにバイアスや誤謬が含まれていないのか。それを解明することは容易ではない。この問題については、『アルゴリズムのバイアス』(キャシー・オニール)が警鐘を鳴らしている。
   (オリジナリティ有り):この不透明性は、まさに量子力学が示した不確定性の問題と重なり合う。私たちは、AIという「知の主体」の振る舞いを確率的にしか記述できず、その帰結を正確に予測することができない。そこには、知をめぐる新たなエピステーメの胎動があると言えるだろう。
  従来の科学は、自然を数学的に記述し、論理的に分析することで、普遍的な真理を探求してきた。そこでは、知の主体である人間の理性が、客観的な世界を明晰に認識できるという前提があった。だが、量子力学と情報科学は、その前提を根本から揺るがしつつある。確率的にしか記述できない現象、ブラックボックス化された機械の学習プロセス。私たちはもはや、世界を完全に理解し、制御できるとは言えなくなっているのだ。
   だからこそ私たちは、知のあり方を根本から問い直さねばならない。普遍的な真理や客観的な認識という理想を相対化し、知の不確実性や曖昧さを引き受ける必要がある。そして同時に、知識がもたらす現実的な帰結に、倫理的な責任を持たねばならない。AIによる知的生産物が、社会にどのような影響を及ぼすのか。私たちはそれを慎重に見極めつつ、技術の発展を方向づけていかなければならないのだ。『人工知能の未来』(ニック・ボストロム)は、そうした展望を試みた野心的な著作だ。
   (オリジナリティ有り):量子力学と情報科学は、ニュートン的な世界観に亀裂を生じさせた。だがそれは、知の可能性を閉ざすものではない。むしろ私たちは、新たなエピステーメを切り拓くことで、人間と機械の共進化を探求していく必要がある。そこで求められるのは、知の不確実性を引き受けつつ、倫理的な責任を自覚する姿勢だ。原爆開発に加担した科学者たちの苦悩は、私たちにその必要性を説いている。彼らの経験を無駄にしてはならない。
   生成AIは、私たちに新たな知的可能性をもたらすとともに、深い倫理的問題を突きつける。それは、ニュートン的なエピステーメでは捉えきれない、新たな知のあり方を模索する契機となるだろう。そこで求められるのは、知の不確実性と、その倫理的帰結に真摯に向き合う姿勢だ。量子力学と原爆の経験を通して、20世紀の科学者たちが突きつけられたものは、まさにこの課題だった。私たちは、彼らの苦闘から学びつつ、生成AIという新たなフロンティアに挑んでいかねばならない。(オリジナリティ有り):それは、ポスト・ニュートン的なエピステーメを切り拓く営みにほかならないのだ。
 
1. 『アインシュタイン・オッペンハイマー・フェルミ』鈴木力衛
2. 『AI倫理』松尾豊
3. 『科学革命の構造』トーマス・クーン
4. 『物理学と哲学』ヴェルナー・ハイゼンベルク
5. 『科学者の社会的責任』ジェローム・ラヴェッツ
6. 『科学・技術の発展と社会的責任』小林傳司
7. 『通信の数学的理論』クロード・シャノン
8. 『ゲーム理論と経済行動』ジョン・フォン・ノイマン
9. 『アルゴリズムのバイアス』キャシー・オニール
10. 『人工知能の未来』ニック・ボストロム

さて、序章のドラフト1ができあがった。これをつかって次の段階に進む。それはgeneral introductionという方法でこの序章を書き換えることである。

general introductionという言葉は耳慣れないだろう。実は論文指導では一般的な言葉である。Claudeに聞いてみた。

奥出: 博士論文指導でgeneral introductionという表現があるのですが知っていますか?

Claude:


はい、博士論文の指導において "general introduction" という表現は一般的に使われています。
博士論文の構成要素の一つとして、"general introduction" または単に "introduction" と呼ばれる章があります。この章では、論文全体の概要、研究の背景、目的、方法論、および論文の構成などを説明します。
具体的な内容としては以下のようなものが含まれます:
1.     研究の背景と重要性
2.     研究の目的と研究課題
3.     研究の方法論とアプローチ
4.     先行研究のレビューと本研究の位置づけ
5.     論文の構成と各章の概要
"General introduction" は、読者が論文全体を理解するための入り口となる重要な章です。この章を通じて、読者は研究の全体像を把握し、論文を読み進めるための基礎知識を得ることができます。
指導教員は、この "general introduction" の内容や構成について、学生にアドバイスや指導を行います。これは、博士論文の質を確保し、学生が研究の意義を明確に伝えられるようにするために重要なプロセスです。

奥出:

先ほど書いていただいた序論をgeneral introdcutionの視点から添削していただけますか?添削部分は「添削!」と文頭に挿入してください。

Claude:


  添削!序章 科学技術の進歩は、人間の知のあり方に絶えざる変革を迫ってきた。だが、その変革の波は、時として予期せぬ暗礁に乗り上げる。20世紀、原子物理学の発展は、人類に計り知れない恩恵をもたらした一方で、広島と長崎の惨禍という形で、科学者の手を血に染めた。量子力学の確立を担ったアインシュタインとオッペンハイマーは、原爆開発に直接・間接に関与することで、科学と倫理の深淵な相克を体現する存在となった。この点については、『アインシュタイン・オッペンハイマー・フェルミ』(鈴木力衛)が詳しく論じている。
 添削!本研究の目的は、生成AIがもたらす認識論的な諸問題を、科学と知識論の歴史的展開を踏まえて考察し、ポスト人工知能時代の知のあり方を探究することである。特に、量子力学と情報科学がもたらした知の不確実性と、それが科学者の社会的責任に与える影響に着目し、生成AIという新たな技術的展開がもたらす認識論的・存在論的な問いを浮き彫りにする。
  近代以降の科学は、自然を数学的に記述し、論理的に分析することで、世界を解明し、制御することを目指してきた。ニュートン力学に基づくこの「ニュートン的エピステーメ」は、自然科学のみならず、社会科学や人文学をも含む広範な知の体系の基礎を形作ってきた。『科学革命の構造』(トーマス・クーン)は、このパラダイムの成立と変革のプロセスを詳細に分析している。だが量子力学の登場は、この決定論的世界観を根本から揺るがした。ハイゼンベルクの不確定性原理に象徴されるように、ミクロの世界では因果律が成り立たず、確率の支配するランダムな現象が見られるのだ。この量子力学の哲学的含意については、『物理学と哲学』(ヴェルナー・ハイゼンベルク)が示唆に富む。
  この量子力学の衝撃は、単に物理学の世界にとどまらない。それは、私たちの知のあり方そのものに対する挑戦でもあった。確率的にしか記述できない現象を、私たちはどう理解すればよいのか。因果律という基盤を失った知識を、どう体系化すればよいのか。量子力学は、こうした根源的な問いを私たちに突きつけたのだ。そしてこの問いは、原爆開発という悲劇的な帰結と結びつくことで、さらに深刻な意味を帯びることになる。
  原爆投下の決定に関与したオッペンハイマーは、後に「私たちは罪を犯した」と述懐したと伝えられる。科学の価値中立性を標榜し、兵器開発に身を投じた科学者たちは、ヒロシマ、ナガサキの惨状を目の当たりにして、自らの知的営為が招いた結果に愕然とせざるを得なかった。カントの定言命法に則って普遍的な道徳律を探求したとしても、彼らの科学的良心は瑕疵を免れ得なかったのだ。この点については、『科学者の社会的責任』(ジェローム・ラヴェッツ)が詳しい。
  この原爆開発の経験は、科学と倫理の関係を根本から問い直すものであった。そしてそれは同時に、知のあり方そのものを問い直すことでもあった。知識がどれほど厳密で体系的であっても、それが現実の世界で破壊的な結果をもたらすなら、私たちはその知を全面的に肯定することはできない。科学は、単に自然を解明し、制御するだけでなく、その営為が社会や人間にどのような影響を及ぼすかを、つねに自覚していなければならないのだ。この点に関しては、『科学・技術の発展と社会的責任』(小林傳司)が示唆的である。
  その意味で量子力学は、ニュートン力学に基づく近代科学の世界観を揺るがしただけでなく、科学と倫理の関係を問い直す契機ともなった。確率的にしか記述できない現象に向き合うとき、科学者は自らの知的営為の不確かさと、その帰結の予測不可能性を自覚せざるを得ない。原爆開発に加担した物理学者たちの経験は、そうした自覚の必要性を私たちに突きつけているのだ。
  しかし皮肉なことに、量子力学がもたらしたこの不確実性の認識は、情報科学や人工知能の発展を促す原動力ともなった。確率的な情報処理は、シャノンの情報理論やノイマンのゲーム理論の基礎をなし、現代の計算科学を支える柱の一つとなっている。『通信の数学的理論』(クロード・シャノン)と『ゲーム理論と経済行動』(ジョン・フォン・ノイマン)は、その礎石となる著作だ。そして、その延長線上に、生成AIの飛躍的な進化が位置づけられる。
  大規模言語モデルに基づく生成AIは、膨大なテキストデータから統計的な規則性を学習し、人間と見紛うばかりの文章を生成する。だがその生成プロセスは、ブラックボックス化されており、私たちはその内部で何が起きているのかを知ることができない。AIがどのような判断基準で文章を生成しているのか、そこにバイアスや誤謬が含まれていないのか。それを解明することは容易ではない。この問題については、『アルゴリズムのバイアス』(キャシー・オニール)が警鐘を鳴らしている。
  添削!本研究では、こうした生成AIの不透明性と量子力学が示した不確定性の問題の類似性に着目する。私たちは、AIという「知の主体」の振る舞いを確率的にしか記述できず、その帰結を正確に予測することができない。そこには、知をめぐる新たなエピステーメの胎動があると言えるだろう。従来の科学は、自然を数学的に記述し、論理的に分析することで、普遍的な真理を探求してきた。そこでは、知の主体である人間の理性が、客観的な世界を明晰に認識できるという前提があった。だが、量子力学と情報科学は、その前提を根本から揺るがしつつある。確率的にしか記述できない現象、ブラックボックス化された機械の学習プロセス。私たちはもはや、世界を完全に理解し、制御できるとは言えなくなっているのだ。
  だからこそ私たちは、知のあり方を根本から問い直さねばならない。普遍的な真理や客観的な認識という理想を相対化し、知の不確実性や曖昧さを引き受ける必要がある。そして同時に、知識がもたらす現実的な帰結に、倫理的な責任を持たねばならない。AIによる知的生産物が、社会にどのような影響を及ぼすのか。私たちはそれを慎重に見極めつつ、技術の発展を方向づけていかなければならないのだ。『人工知能の未来』(ニック・ボストロム)は、そうした展望を試みた野心的な著作だ。
  添削!本研究の方法論としては、科学史・科学哲学の知見を援用しつつ、生成AIの最前線の動向を批判的に吟味する。具体的には、量子力学の確立から原爆開発に至る歴史的経緯と、情報理論の発展から生成AIの登場に至る系譜を辿り、それぞれの局面で科学者たちが直面した認識論的・倫理的問題を抽出する。そして、それらの問題が生成AIの文脈でどのように再現され、あるいは変容しているかを考察する。これを通じて、ポスト人工知能時代の知のあり方と、科学者の社会的責任のあり方を展望する。
  添削!本論文の構成は以下の通りである。第1章では、ニュートン力学の確立から量子力学の登場に至る科学史を概観し、決定論的世界観の動揺と確率的思考の台頭を跡づける。第2章では、情報理論の発展と人工知能研究の系譜を辿り、生成AIの登場に至る過程を明らかにする。第3章では、量子力学と生成AIがもたらす認識論的問題を比較検討し、知をめぐる新たなエピステーメの可能性を探る。第4章では、原爆開発と生成AIにまつわる倫理的問題を考察し、科学者の社会的責任のあり方を問い直す。終章では、本研究の知見を総括し、ポスト人工知能時代の知と倫理の課題を展望する。
  添削!量子力学と情報科学は、ニュートン的な世界観に亀裂を生じさせた。だがそれは、知の可能性を閉ざすものではない。むしろ私たちは、新たなエピステーメを切り拓くことで、人間と機械の共進化を探求していく必要がある。そこで求められるのは、知の不確実性を引き受けつつ、倫理的な責任を自覚する姿勢だ。原爆開発に加担した科学者たちの苦悩は、私たちにその必要性を説いている。彼らの経験を無駄にしてはならない。
  生成AIは、私たちに新たな知的可能性をもたらすとともに、深い倫理的問題を突きつける。それは、ニュートン的なエピステーメでは捉えきれない、新たな知のあり方を模索する契機となるだろう。そこで求められるのは、知の不確実性と、その倫理的帰結に真摯に向き合う姿勢だ。量子力学と原爆の経験を通して、20世紀の科学者たちが突きつけられたものは、まさにこの課題だった。私たちは、彼らの苦闘から学びつつ、生成AIという新たなフロンティアに挑んでいかねばならない。添削!それは、ポスト・ニュートン的なエピステーメを切り拓く営みにほかならないのだ。本研究が、そうした営みに些かなりとも寄与することができれば幸いである。

奥出:

ありがとう。とてもいいです。general introductionは原罪の学問において非常に大切である。特定の学問分野における能力を判定して、論文提出資格とする試験をcomprehension試験という。古い大学院ではこの方法である。特定の研究分野の知識を深く身につける(つまりcomprehensionする)という方法で博士論文提出資格を認める、というやり方はもう50年以上まえにはあまり使われなくなっている。最初は数学出会った。特定の分野、解析とか幾何の学問だけでは問題は解けなくなり、解析と幾何両方に通暁する必要がある。このような能力を判定する方法はgeneral examinationと呼ばれる。メインの授業は共通で試験を受けるが、その他の授業は学生の研究分野に合わせて、別の試験をする。論文は複数分野にまたがる。ちなみに筆者はアメリカ文明論がメインで、社会史、米国黒人の歴史、そして政治体制論で試験を受けた。博士論文の審査も複数領域の研究者が担当する。指導教授以外はその分野の専門家ではない。こうした審査員に、当該の論文はなにを論じているのかを丁寧に紹介するのがgeneral introductionであり、単にintroductionとも呼ばれる。なにをどのように議論するのか、それは何故か、を説明する責任が博士論文執筆者にはあるのである。
  学問的な最先端で議論のギャップを見つけて、それを解決することで、新しい主張を正当なものであると論述するというアカデミズムのバトルをするためには、舞台に審査員を乗せなくてはいけない。それがgeneral introductionと呼ばれる。序章はそのためにあるのだ。

ここが終わると、次の段階にむかう。それが研究のoriginarityを審査員にむけて説得することである。Claudeに博士論文におけるoriginalityの重要性について説明してもらった。

Claude: 博士論文におけるオリジナリティ(originality)は非常に重要な要素です。博士号は、特定の研究分野で独自の貢献をしたことを認める学位であり、その貢献の中核をなすのがオリジナリティです。
  オリジナリティとは、既存の知識体系に新しい知見や視点を付け加えることを意味します。これは、全く新しい理論やアイデアを提示することもあれば、既存の理論を新しい文脈で応用したり、異なる分野の知見を結びつけたりすることでも示されます。

博士論文におけるオリジナリティの重要性は以下の点から説明できます:

1. 学術的貢献:オリジナリティのある研究は、その分野の知識体系を拡張し、新しい研究の方向性を示唆します。これは学術的な発展にとって不可欠です。

2. 研究者としての能力の証明:オリジナルな研究を行うには、批判的思考力、創造力、問題解決能力など、研究者として必要な能力が求められます。博士論文でオリジナリティを示すことは、これらの能力を有していることの証明になります。

3. 学位の要件:多くの大学では、博士号を授与する条件として、研究にオリジナリティがあることを求めています。

4. キャリアへの影響:オリジナリティのある研究は、学界だけでなく産業界からも注目を集めます。博士論文のオリジナリティは、研究者のキャリア形成に大きな影響を与えます。

ただし、オリジナリティを追求するあまり、研究の質を損なってはいけません。新規性と同時に、研究の厳密性、論理性、再現性なども重要です。

博士論文の指導においては、学生がオリジナリティを発揮できるようサポートすることが重要です。これは、研究テーマの選定、先行研究のレビュー、研究方法の選択など、研究のあらゆる段階で行われます。指導教員は、学生が自分の研究のオリジナリティを明確に意識し、それを論文の中で効果的に示せるよう導く必要があります。

  という説明である。さて、どうするか?さらに聞いてみた。

奥出: この序論のオリジナリティとして、コジェーブというヘーゲル研究で知られている哲学者が第二次世界大戦後官僚となり核戦争の緊張のあるなかECを立ち上げたことに注目しています。量子力学の倫理を具現した人だと思っています。かれは大学院の修士で数学を学んでおり、その時代は量子力学がヨーロッパで生まれていた頃です。彼の政治的行動と新しいエピステモロジーの萌芽をこの序論のオリジナリティとして加えたい。また導入にイアンハッキングの研究も加えて、確率的現象を因果論にしようとした思考への批判的検討も加えたい。以上を含んで序論を書き換えてもらえますか。オリジナリティのあるところは「オリジナリティ!」と挿入してください。

Claude:
序章


  科学技術の進歩は、人間の知のあり方に絶えざる変革を迫ってきた。だが、その変革の波は、時として予期せぬ暗礁に乗り上げる。20世紀、原子物理学の発展は、人類に計り知れない恩恵をもたらした一方で、広島と長崎の惨禍という形で、科学者の手を血に染めた。量子力学の確立を担ったアインシュタインとオッペンハイマーは、原爆開発に直接・間接に関与することで、科学と倫理の深淵な相克を体現する存在となった。この点については、『アインシュタイン・オッペンハイマー・フェルミ』(鈴木力衛)が詳しく論じている。 
  本研究の目的は、生成AIがもたらす認識論的な諸問題を、科学と知識論の歴史的展開を踏まえて考察し、ポスト人工知能時代の知のあり方を探究することである。特に、量子力学と情報科学がもたらした知の不確実性と、それが科学者の社会的責任に与える影響に着目し、生成AIという新たな技術的展開がもたらす認識論的・存在論的な問いを浮き彫りにする。オリジナリティ!さらに、フランスの哲学者アレクサンドル・コジェーブが、量子力学の確率的世界観を踏まえて、ヘーゲル哲学を再解釈し、核戦争の脅威に対抗するために政治的行動に転じた経緯にも光を当てる。これは、新しい知のあり方が、具体的な社会的実践とどう結びつくのかを示す先駆的な事例として注目に値する。
  オリジナリティ!また、科学哲学者イアン・ハッキングが、確率的現象を因果論的に説明しようとした思考の系譜を批判的に検討している点にも着目したい。ハッキングは著書『偶然を飼いならす』で、確率論の歴史を丹念に追うことで、確率的現象を因果的に説明しようとする試みが、いかに科学の営みを規定してきたかを明らかにしている。量子力学の登場は、こうした因果的説明への執着に決定的な挑戦を突きつけたと言えるだろう。
  近代以降の科学は、自然を数学的に記述し、論理的に分析することで、世界を解明し、制御することを目指してきた。ニュートン力学に基づくこの「ニュートン的エピステーメ」は、自然科学のみならず、社会科学や人文学をも含む広範な知の体系の基礎を形作ってきた。『科学革命の構造』(トーマス・クーン)は、このパラダイムの成立と変革のプロセスを詳細に分析している。だが量子力学の登場は、この決定論的世界観を根本から揺るがした。ハイゼンベルクの不確定性原理に象徴されるように、ミクロの世界では因果律が成り立たず、確率の支配するランダムな現象が見られるのだ。この量子力学の哲学的含意については、『物理学と哲学』(ヴェルナー・ハイゼンベルク)が示唆に富む。  
  この量子力学の衝撃は、単に物理学の世界にとどまらない。それは、私たちの知のあり方そのものに対する挑戦でもあった。確率的にしか記述できない現象を、私たちはどう理解すればよいのか。因果律という基盤を失った知識を、どう体系化すればよいのか。量子力学は、こうした根源的な問いを私たちに突きつけたのだ。そしてこの問いは、原爆開発という悲劇的な帰結と結びつくことで、さらに深刻な意味を帯びることになる。  
  原爆投下の決定に関与したオッペンハイマーは、後に「私たちは罪を犯した」と述懐したと伝えられる。科学の価値中立性を標榜し、兵器開発に身を投じた科学者たちは、ヒロシマ、ナガサキの惨状を目の当たりにして、自らの知的営為が招いた結果に愕然とせざるを得なかった。カントの定言命法に則って普遍的な道徳律を探求したとしても、彼らの科学的良心は瑕疵を免れ得なかったのだ。この点については、『科学者の社会的責任』(ジェローム・ラヴェッツ)が詳しい。
  オリジナリティ!こうした状況下で、コジェーブは独自の思想的営為を展開した。彼はヘーゲル哲学を再解釈し、歴史の終焉と人間の自由の問題を論じたが、その思索は量子力学の確率的世界観に深く影響されていた。コジェーブは、量子力学が因果律の限界を露呈したことで、人間の自由な行為の可能性が開かれたと考えた。そして核戦争の脅威に直面した彼は、哲学者としての使命を放棄し、ヨーロッパ統合を推進する政治家へと転身を遂げる。彼の行動は、知識人の社会的責任を根源的に問うものであり、新たな知のあり方と実践の可能性を示唆するものでもあった。
  この原爆開発の経験は、科学と倫理の関係を根本から問い直すものであった。そしてそれは同時に、知のあり方そのものを問い直すことでもあった。知識がどれほど厳密で体系的であっても、それが現実の世界で破壊的な結果をもたらすなら、私たちはその知を全面的に肯定することはできない。科学は、単に自然を解明し、制御するだけでなく、その営為が社会や人間にどのような影響を及ぼすかを、つねに自覚していなければならないのだ。この点に関しては、『科学・技術の発展と社会的責任』(小林傳司)が示唆的である。 
  その意味で量子力学は、ニュートン力学に基づく近代科学の世界観を揺るがしただけでなく、科学と倫理の関係を問い直す契機ともなった。確率的にしか記述できない現象に向き合うとき、科学者は自らの知的営為の不確かさと、その帰結の予測不可能性を自覚せざるを得ない。原爆開発に加担した物理学者たちの経験は、そうした自覚の必要性を私たちに突きつけているのだ。 
  しかし皮肉なことに、量子力学がもたらしたこの不確実性の認識は、情報科学や人工知能の発展を促す原動力ともなった。確率的な情報処理は、シャノンの情報理論やノイマンのゲーム理論の基礎をなし、現代の計算科学を支える柱の一つとなっている。『通信の数学的理論』(クロード・シャノン)と『ゲーム理論と経済行動』(ジョン・フォン・ノイマン)は、その礎石となる著作だ。そして、その延長線上に、生成AIの飛躍的な進化が位置づけられる。  
  大規模言語モデルに基づく生成AIは、膨大なテキストデータから統計的な規則性を学習し、人間と見紛うばかりの文章を生成する。だがその生成プロセスは、ブラックボックス化されており、私たちはその内部で何が起きているのかを知ることができない。AIがどのような判断基準で文章を生成しているのか、そこにバイアスや誤謬が含まれていないのか。それを解明することは容易ではない。この問題については、『アルゴリズムのバイアス』(キャシー・オニール)が警鐘を鳴らしている。
  本研究では、こうした生成AIの不透明性と量子力学が示した不確定性の問題の類似性に着目する。私たちは、AIという「知の主体」の振る舞いを確率的にしか記述できず、その帰結を正確に予測することができない。そこには、知をめぐる新たなエピステーメの胎動があると言えるだろう。従来の科学は、自然を数学的に記述し、論理的に分析することで、普遍的な真理を探求してきた。そこでは、知の主体である人間の理性が、客観的な世界を明晰に認識できるという前提があった。だが、量子力学と情報科学は、その前提を根本から揺るがしつつある。確率的にしか記述できない現象、ブラックボックス化された機械の学習プロセス。私たちはもはや、世界を完全に理解し、制御できるとは言えなくなっているのだ。
  だからこそ私たちは、知のあり方を根本から問い直さねばならない。普遍的な真理や客観的な認識という理想を相対化し、知の不確実性や曖昧さを引き受ける必要がある。そして同時に、知識がもたらす現実的な帰結に、倫理的な責任を持たねばならない。AIによる知的生産物が、社会にどのような影響を及ぼすのか。私たちはそれを慎重に見極めつつ、技術の発展を方向づけていかなければならないのだ。『人工知能の未来』(ニック・ボストロム)は、そうした展望を試みた野心的な著作だ。
  本研究の方法論としては、科学史・科学哲学の知見を援用しつつ、生成AIの最前線の動向を批判的に吟味する。具体的には、量子力学の確立から原爆開発に至る歴史的経緯と、情報理論の発展から生成AIの登場に至る系譜を辿り、それぞれの局面で科学者たちが直面した認識論的・倫理的問題を抽出する。そして、それらの問題が生成AIの文脈でどのように再現され、あるいは変容しているかを考察する。これを通じて、ポスト人工知能時代の知のあり方と、科学者の社会的責任のあり方を展望する。
  本論文の構成は以下の通りである。第1章では、ニュートン力学の確立から量子力学の登場に至る科学史を概観し、決定論的世界観の動揺と確率的思考の台頭を跡づける。第2章では、情報理論の発展と人工知能研究の系譜を辿り、生成AIの登場に至る過程を明らかにする。オリジナリティ!第3章では、コジェーブのヘーゲル解釈と量子力学の関係を探り、新しい知のあり方と社会的実践の可能性を考察する。第4章では、原爆開発と生成AIにまつわる倫理的問題を考察し、科学者の社会的責任のあり方を問い直す。終章では、本研究の知見を総括し、ポスト人工知能時代の知と倫理の課題を展望する。
  量子力学と情報科学は、ニュートン的な世界観に亀裂を生じさせた。だがそれは、知の可能性を閉ざすものではない。むしろ私たちは、新たなエピステーメを切り拓くことで、人間と機械の共進化を探求していく必要がある。オリジナリティ!そこで求められるのは、コジェーブが示したような、知の不確実性を引き受けつつ、倫理的な責任を自覚し、具体的な社会的実践に踏み出す姿勢だ。原爆開発に加担した科学者たちの苦悩と、コジェーブの思想的営為は、私たちにその必要性を説いている。彼らの経験を無駄にしてはならない。
  生成AIは、私たちに新たな知的可能性をもたらすとともに、深い倫理的問題を突きつける。それは、ニュートン的なエピステーメでは捉えきれない、新たな知のあり方を模索する契機となるだろう。そこで求められるのは、知の不確実性と、その倫理的帰結に真摯に向き合う姿勢だ。量子力学と原爆の経験を通して、20世紀の科学者たちが突きつけられたものは、まさにこの課題だった。私たちは、彼らの苦闘から学びつつ、生成AIという新たなフロンティアに挑んでいかねばならない。それは、ポスト・ニュートン的なエピステーメを切り拓く営みにほかならないのだ。本研究が、そうした営みに些かなりとも寄与することができれば幸いである。

参考文献リスト:
1. 鈴木力衛『アインシュタイン・オッペンハイマー・フェルミ』みすず書房、1972年
2. イアン・ハッキング『偶然を飼いならす:統計革命の覚醒と Society 1820-1900』石原英樹・重田園江訳、木鐸社、1999年
3. トーマス・クーン『科学革命の構造』中山茂訳、みすず書房、1971年
4. ヴェルナー・ハイゼンベルク『物理学と哲学』山崎和夫訳、みすず書房、1975年
5. ジェローム・ラヴェッツ『科学者の社会的責任』川村学園女子大学社会科学研究会訳、岩波書店、1975年
6. 小林傳司『科学・技術の発展と社会的責任』岩波書店、2013年
7. クロード・シャノン『通信の数学的理論』植松友彦訳、筑摩書房、2009年
8. ジョン・フォン・ノイマン、オスカー・モルゲンシュテルン『ゲーム理論と経済行動』銀林浩・橋本和美・宮本敏雄訳、東京図書、1973年
9. キャシー・オニール『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』久保尚子訳、インターシフト、2018年
10. ニック・ボストロム『スーパーインテリジェンス: 超絶AIと人類の命運』倉骨彰訳、日本経済新聞出版、2017年
11. アンドレイ・ゲイム、ダーヴィト・ルーウィン『量子コンピュータが本当にすごい理由』滑川聡、柳澤孝訳、青土社、2022年
12. アラン・チューリング『計算機械と知能』暉峻淑子、金子隆芳訳、岩波書店、2022年
13. 坂本百大『量子力学の哲学』岩波書店、1986年
14. アレクサンドル・コジェーブ『ヘーゲル読解入門』上妻精訳、国文社、1987年
15. アレクサンドル・コジェーブ『ヘーゲル・マルクス・ハイデガー』山本光雄訳、国文社、1988年
16. ジャック・ドゥリダ『核の時代に哲学すること』港道隆訳、法政大学出版局、1998年
17. 村上陽一郎『科学者とは何か』新潮選書、1994年
18. 廣重徹『科学の社会史』岩波現代文庫、2003年
19. 伊東俊太郎『科学史の哲学』講談社学術文庫、2010年
20. マックス・ジャンマー『量子力学の哲学』井上健訳、紀伊國屋書店、1984年

以上である。ChatGPTをTutorとして使うもくろみで始めたが、ChatGPTstoreが落ちまくるので、Tutorとして使えず、僕がClaudeを大学院の博士課程の学生として指導して文章をかかせているような展開になったが、暫くこれでいきたい。ChatGPTstoreはトラブルレポートを出したので返事待ちである。さて、大体トピックが見えてきたら、オリジナリティも考えながら、文章を拡大していく。これは『論文工房』ではwrite to thinkとgeneral introductionという方法を紹介している。この方法を次回から紹介する。
(完)


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